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第24回「経営者.マガジン読者の集い」 春秋航空董事長 王正華様 ご講演 (読む時間:約6分)

    • 講演タイトル「イノベーションと道徳的企業経営」


       6月8日に行われた「経営者.マガジン」読者の集いに参加した王氏は、終始穏やかな笑みを浮かべる親しみやすい人物であり、成功したビジネスマンという印象とは結びつかなかった。しかし、演台に立ち話し始めた王氏からは、情熱と力が感じられた。ここに、王氏が語った講演をまとめたい。


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      2平米の小屋で創業、世界100強の企業へ


      春秋航空は中国初のLCC航空であり、今や54機の飛行機を有し、年商73.28億元の企業である。その始まりは1981年、2平米の小さな小屋でスタートした春秋旅行社だった。春秋航空はやがて大手旅行社へと成長し、2005年には春秋航空をスタートする。その春秋航空も今や世界100強に属する企業へと成長している。


      航空業界は3年から5年の間は欠損となるのが一般的だ。しかし春秋航空は創立初年度から利益を上げ続けてきた。航空業界の慣例として、利益は1機あたりの額で計算する。2014年には春秋航空の1機当たりの利益は1964万元、これは全中国の航空会社中トップの数字である。大部分の航空会社は春秋航空の利益の40%から50%ほどであり、世界的に見てもアメリカのサウスウェスト、ユナイテッド、そして日本のANAよりも高い額である。


      王氏は「常に挑戦し、イノベーションのある人は失敗することはない、諦めた時に初めて失敗がやってくるのだ」と語る。これは稲盛和夫氏の言葉に学んだものなのだという。


      「茨城空港と地方経済の救世主」


      春秋航空が始めて飛ばした国際便は日本へのものだった。今でも国際便のほとんどが日中間のものだ。


      2009年に世界的な経済危機が収束しつつあった頃から、春秋航空は日本進出の為の市場研究を始めていた。他企業との競争とならない路線を選ぶことをアドバイスされた春秋航空が選んだのは地方空港だった。東京付近では茨城、大阪付近は香川、福岡付近では佐賀である。


      始め茨城空港にはアシアナ航空も飛んでいたが、やがて彼らは撤退した。多くの人たちが茨城便は失敗となると思っていたが、春秋航空は飛行機を飛ばし続けた。アシアナ航空は1便当たり50名ほどの座席占有率だった。だが春秋航空は毎便170から180席が埋まっており、座席占有率は95%以上だった。春秋航空のバックには春秋旅行社がおり、座席占有率を上げていた。


      「春秋航空の飛行機が到着するたびに茨城空港は沸き立ちました。飛行機の利用者はビジネスマンではなく、購買旅行の高い旅行者だったのです。その頃はホームベーカリーが中国の旅行客に人気で、毎回空港で売られているホームベーカリーが売り切れていたのを覚えています」と王氏は当時を思い返す。茨城空港の免税店の社長は王氏にこっそり囁いた。「次に春秋航空がどの空港に飛ぶか先に教えてください。そしたら私は先に行ってそこに大きな店を借りますから」と。


      たったの2便しか飛んでおらず、先が危ぶまれていた茨城空港は、2013年に「アジア太平洋地区優秀LCCエアターミナル」の栄誉を獲得した。この日、茨城県知事は王氏に手紙を送り、春秋航空に感謝を示した。日本のメディアも春秋航空は茨城空港と地方経済の救世主だと書き立てた。


      関西国際空港に活気を呼ぶ


      茨城空港以外の佐賀、香川の二空港でも同様のことが演じられた。そして日本第二の国際空港である関西国際空港の発展にも春秋航空は寄与したと王氏は思っている。


      王氏は2012年、大阪に行ったときの光景を思い出す。大金を費やして作り上げた素晴らしい空港だが、関空は全く繁栄していなかった。これは王氏だけがそう感じたわけではない。「関空」というキーワードで検索すれば、当時の閑散とした様子を語る文章をいくつも見つけることができるだろう。どの文章にも共通しているのは「関空は設備はオリジナリティーもあり、先進的、ディテールも細かく、使いやすい。だがガランとした寒々しい空間だ」というものだ。 王氏は関空の社長に「私に2年の時間をください。関空を茨城空港のように盛り上げてみせます」と請け負った。小さな航空会社の大きな言葉に、関空の社長は多少の疑いは持っていたようだ。途中、日中関係のもつれもあって、多少の遅れはあったものの、2014年になって春秋空港は上海から大阪へと飛んだ。どの便も往復はほとんど満席だった。その後も重慶、武漢、天津と、春秋航空は次々と関空から中国の各地方への飛行機を飛ばした。「武漢、天津便は他の大会社も飛ばしたことがあります。誰もが春秋航空も失敗するだろうと思っていました」と王氏は語る。


      なぜこれまで大会社が失敗したのか。その理由は利用者が少なかったことだ。毎便の利用者は2、30名のビジネス客のみ。しかし春秋航空は違った。旅行社のバックアップもあり、旅行者でほとんどの席を埋めてみせた。150席は旅行者、残りの30席をビジネス客という割合を保持することで、どの便も満席となってしまい、ビジネスマンは旅行社に連絡して、席を抑えねばならない状況にすらなっていた。


      王氏は2年ではなく、1年で約束を実現した。関空は春秋航空の参入により賑やかさを増し、それが呼び水となって多くの航空会社が大阪航路に参入、関空は大きな変化を遂げた。エアポートターミナルは込み合い、空港周辺のホテル、バスなども興隆した。王氏が関空を訪れた時、周辺のホテルはどこも満室で、価格も2倍になっていたという。関空は今では第三、第四ターミナルの拡大計画を発表している。


      企業立ち上げに大切なのは創造性


      大阪路線が人気となったことで、春秋航空は更に日本への便数を増やす。6月末には名古屋と上海、合肥、ハルピン、フフホト、石家庄が増え、日本便は15本に増えた。「人が持っていない物を持ち、人が持っているならばより良いものを手にし、もっといいものを手にし、人が優れている時には別のものに代える」これが王氏が貫徹してきたやり方だ。「企業を作る時にもっとも大切なものは創造性、その次は自分の優位点と市場のトレンドを知ることです」と王氏は語る。


      サービスに優れた日本で戦うために


      春秋航空の日本会社は2010年から準備を始め、2014年に日本国内便を初就航した。現在、日本国内路線は成田から高松、広島、佐賀の各地へ飛んでおり、利用率は70から80%となっている。日本を初めての海外拠点とした理由は1つ目が距離の近さ、2つ目が市場の潜在力だ。優秀なパイロットが比較的多いところも理由の一つではある。


      王氏と日本とが繋がったのは20年以上も前、まだ春秋旅行社だけを経営していたときのことだ。春秋航空が初めて受け入れた外国人ツアーが、上海観光にやってきた日本のツアーだったのだ。40度ほどにもなる上海の夏、誰もが暑さに喘いでいたが、日本のガイドだけはスーツを着たまま日陰にも入らず炎天下のもとにいた。王氏がその理由を聞いたところ、ガイドはいつも旅行者がすぐ見つけられるところにいなければならないからだと答えた。王氏はそれに感じ入り、このサービス精神を模範とするように春秋旅行社のスタッフに伝えた。


      日本に進出した春秋航空は、日本市場で日本人とサービスで競わねばならない。チケットが安くてもサービスが追いついていなければ日本人は納得しないだろう。だからサービスは春秋航空の日本での発展の運命を決めるものとなると言える。日本でのLCCの競争は熾烈だが、春秋航空は低価格を提供することができ、また大きな航空会社と肩を並べるようなサービスを提供することができる。これまでに積みかさねた評判と、イノベーションにより、春秋航空はこれからも日本の空を飛ぶことができることだろうと王氏は語った。


    2015.07.10

    第23回「経営者.マガジン読者の集い」 GRAMCO上海董事長 山田敦郎様 ご講演 (読む時間:約3分)

    • 去る5月11日に第23回「経営者.マガジン読者の集い」が開催されました。 第一部では創業28年間の歴史をもつブランディングファーム「GRAMCO上海」董事長の山田敦郎様にご講演頂きました。講演のテーマは「GRAMCOがお勧めする中国パワーブランディング」、講演の一部をご紹介します。

       

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      ■ 中国で成功を狙おう


      このところ多少弱まってきた気がしますが、2、3年前には撤退される企業さんが多かったように思います。中国がだめならインドに行こう、インドがだめならロシアに行くかという経営者もいます。また中国が世界で一番難しいと言う方もおられるが、私はそれは違うと思います。


      まずお話したいことの1番目が、単一でこんなに大きな市場は他にないということです。もちろん地方ごとの特色はありますけれど。昨年シンガポールに、当社の拠点作りに赴きましたが、シンガポールの総経理は常にシンガポールにいません。アジアをいつも巡回しています。もちろん広大な中国国内もぐるぐる回らねばなりませんが、言語も単一ですから、宗教も言語も違う国を巡るのとはわけが違います。


      また、国際の格付けを見てみると中国は日本より上。名目GDPも 2010年には追い抜かれました。なお、皆さんのブランドが中国の全国民の13億を狙っていく訳ではありません。トップの超富豪層(年収100億元)の90人を含め上流中階層・高級中間層から上だと考えております。もっと絞っていいと思います。ターゲティングは中国では非常に大切だからです。


      ■ スピード感あるブランディングを


      中国には世界の常識と違うことも多々あります。例えばPCのメーカーが自分で店舗を持たなくてはいけないというのもその一つ。オンラインでのブランディングだけでなく、店舗のスペースブランディングもしなくてはいけない。これは中国だけだと思います。


      また、中国のスピード感に追いつけるかも非常に重要で、実際に弊社のクライアントでもこの8年間に2回ブランディングをやっている会社があります。何故ならこの国の変化に合わせていかないと、実態に追いつけないからです。中国のニーズに合った、中国のためのブランディングを、中国でやっていくということが大切なのです。


      ■ 色から見る日中文化の差


      2009年に日本と中国で大掛かりな調査を行いました。欧米でも補足調査を実施しました。具体的には「この言葉を聞いてどんな色を想起するか」というリサーチです。例えば”情熱的な”という言葉は両国とも赤が圧倒的でほぼ同じでした。”ロマンチック”はピンク、 ”優しい”は肌色などの淡い色で日中同じ傾向でした。似通ってはいるのですが、しかし、”ダイナミック”という言葉は、日本では赤が連想されるのに対して、中国では緑、また”スポーティ”は日本では青、中国では赤となりました。このように細かく見ていくと、結構違う色の選択もあるのです。色に出てくる差はある意味で文化の差です。差があるのだ、ということをよく日系企業の皆さんは認識すべきです。


      ■ 現地法人が大切なわけ


      なぜ現地法人が大事かというと、その国に最適なマーケティングができる、顧客ニーズがしっかり把握できる立場にある、ということです。上記で日中の色の認識の違いを述べましたが、グラムコ上海では、日本から進出されている日系企業の、中国市場に適合したブランドコンセプトの策定をやっています。昔はワンブランド・ワンボイスと言って、世界中全部同じに見えるブランドにする、というのが主流でした。今でもそうしているところはありますが、今日ではワンブランド・ワンボイスとはあまり言わない。ローカライズすべきであればやっていくのが最近のブランディングで、その国々に合った考え方を採用していかなくてはいけないのです。まさにグローカルですね。我々もそうですが、日系企業の中国法人は、骨を埋めるつもりで頑張って、もっと中国市場を成長させていかなくてはいけませんね。


    2015.05.25

    第21回「経営者.マガジン読者の集い」 SUNTORY中国代表 齋藤和弘氏様 ご講演(前篇) (読む時間:約6分半)

    • 去る2月5日に第21回「経営者.マガジン読者の集い」が開催されました。今回は本誌1月号に登場された多彩なゲスト、読者である企業の代表者たちにご参加いただきました。 第一部ではSUNTORY中国代表の齋藤和弘氏にご講演いただきました。講演の一部をご紹介します。

       

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      私はこれまでにSUNTORYで、マーケティング、商品開発、チャネル開発、宣伝を30年やってきました。今日は私がこれまでに気がついたことを皆さんにお話ししたいと思います。

       

      ●ヒット商品に法則はない

       
       まず私の経験から言いますと、ヒット商品に法則はあるわけはないと思っています。有名な行動経済学のダン・アリエリーも「人間は決して合理的な行動をするとは限らない」と言っておりますが、商品の購買行動も直感的に好き嫌いで選んでいることが大半なのです。

       
      しかし、当社で言えば缶コーヒーBOSSや伊右衛門のように1つの商品で2,000億円を越えるような大ヒット商品には共通項があるんです。

        
      それは、発売すると決まった時に社内の営業や流通のお得意様が猛反対するということです。猛反対された商品のみが大ヒットする。これまで一つも例外はありません。

       
      例えば、SUNTORY烏龍茶は「甘くないお茶を誰が買うんだ!」
      缶コーヒーBOSSは「青いコーヒーなんてインクでも入っているのか?」
      CCレモンは「黄色がどぎつい、薬みたいだ!」
      なっちゃんは「夏みかんでも入っているのか」
      DAKARAは「小便小僧をCMで使うなんてありえないだろ!」
      伊右衛門は「名前がお位牌みたい!」

       
      しかし、SUNTORYグループ2兆5千億円のうち1兆3,000億円は飲料事業ですが、そのうちの大半をこの飲料たちが占めているのです。このことからお客様と我々業界内部の人間の感覚はズレていると言えます。そこで消費者調査が重要になってきます。インタビューして消費者たちの言葉を拾ってヒントをいただくのですが、お客様にどれだけ本心を語っていただけるか、これは極めて難しいことです。 例えば伊右衛門の商品開発インタビューにおいては、「お茶を飲んだらどんな気持ちになりますか?」と聞いてしまったら「ホッとしますね」と返答が返ってくるだけです。

       
      そこで、「お茶を動物に例えたらどうなりますか?」
      「お茶を飲んだ時に一番会いたくなるのは誰ですか?」
      こんな質問までしていかないと本音なんて出てこないんです。

       
       調査会社でまとめてもらおうとすると、クライアントの移行に沿ってまとめようとするのでSUNTORYでは必ず自社で調査をするようにしています。

       
      ●缶コーヒーBOSS

       
      BOSSの色は何故青いのか皆さんご存知ですか。実はタバコの「PEACE」の色を意識しています。当時缶コーヒーを飲む人のほとんどがタバコを吸います。どういうタイミングでタバコを吸うかを調べてみたらきつい労働の合間なんですね、もうひと頑張りというタイミングです。そこで缶コーヒーとは一体何なのかをよく考えて調査してみました。それは「大の男が男らしく飲めるママの味」なんですね。ミルクと砂糖とコーヒーでホッとして癒やされたいんです。そこでBOSSは「働く男の相棒缶コーヒー」というコンセプトにしました。相棒としていつも隣にいても邪魔にならないデザインにしました。

       
      ●なっちゃん

       
      なっちゃんは夏休みの意味なんですね。夏休みで実家に帰って、何気なく出てきたオレンジジュースを飲んだら美味しかったという、こんな感覚でネーミングがつきました。この感覚、お客様には伝わるんですが、なかなか社内には伝わらないんです。

       
      ●一番社内で反対している人を説得する

        
      こんな時にどうやって突破するのかというと一番社内で反対している人を説得するということなんです。DAKARAでは小便小僧をCMに使うなんて、 企業としての品格を落とすと反対されましたが、最後は「勝手にせい!」と言われ、勝手にしたら売れました(笑)売れたら何も言わなくなりました(笑)

       
      ●違和感を感じる商品

        
      なんでそんなに反対されるのかというとこれまでの商品と違って違和感があるからなんです。違和感があるとバイヤーはその商品を仕入れた理由などを説明しないといけません。ですが、人に説明するときに違和感があるから説明しにくいんです。でも違和感のないものは普通のものなんです。それを我々は言語化するためにお手伝いしていく作業が必要です。サポートを一生懸命していかないとなかなかヒット商品は生まれないんです。 商品化に携わる方々にお伝えしたいのですが、もし上司に「こんなもん売れるか!」と言われたら実はチャンスなんです。ぜひ粘って頑張ってもらいたいです。 そんな簡単にヒット商品は出ないです。やはりみんな苦労しています。七転八倒して、眠れない夜を繰り返した人しか絶対に成功はないと思います。

       
      ●失敗した人を変えない

       
      私の方針として失敗した人を変えないようにしています。会社によっては「あいつは失敗癖がついている」「失敗したら猛烈に反省してもらわないと困る」と責めてしまいます。当然宣伝までやって失敗したら会社は大損しますが、ただそれで失敗した人を責めていたら誰も新商品なんて作らなくなるし、当たり外れを経験することができません。一番苦しんでいるのは当の本人です。どこがダメだったのかを勘所を掴むには最低でも2、3年かかるんです。失敗した人にしか、成功はできません。やってみないとわからないので、やらせてみるということになります。「やってみなはれ」ですね。私は部下がちゃんとしたデータで100%否定できないものを持ってきたら、商品を出すようにしています。上司が判断するものではないのです。マーケットに近い人間が確信を持てたら通すようにしています。

       
      ●ヒット商品は競合と競合しない

       
      このような新しい価値をもったヒット商品が出たときには実は競合と競合しないんですね。サブカテゴリーができるんです。例えば「伊右衛門」ができて売れたからっといって、「お~いお茶」が減ったかというと減ってません。BOSSの後にGEORGIAが出たからといってBOSSが減ることもありません。それなりのブランドができて価値が認められたら、カテゴリーが大きくなるんです。そうするとよくある似たもの同士の値引き合戦という不毛な競争を避けられる。しっかりとブランディングをする時間があるということが重要ではないかと思っています。したがって、いいヒット商品というのはカテゴリー価値を高くし、不毛な競争を避けられるようになります。

       
      ●いつ安定したブランドになるのか?

       
      自分の経験からいうと20年はかかると思います。しかもかなりの確信をもって投資・コミュニケーションをやり続ける必要があります。逆に20年続いたブランドはへたりません。子供の頃から冷蔵庫にいるブランドというのは非常に大きい。そこまで持っていく一番最初のところにブランドの「三感」というものがあります。「共感、親近感、安心感」です。安心感まで行くと勝ちですね。それは愛する奥さんだったり、空気だったり、水だったりします。あって当然の商品でそれがあるのは当たり前だといいうことで安心感まで持っていくのが最後の目的なんですが、これを人に例えると、共感(あの人ちょっといい人とかもしれない)、親近感(やぱりいい人だよね)、安心感(この人に出逢えてよかった)。こんな態度に変容するまでに、私は20年はかかると思っています。

       
      ●お客様の身になった宣伝を 

       
       一番最初に共感を取るのが宣伝の仕事になります。宣伝はラブレターと言われていることもあって、「自分がこんなに優れている」というところを伝えることが多いのですが、自分の自慢話をテレビの画面から投げつけられて好きになれますか?宣伝は自分の自慢話をどううまく相手に伝えるかが重要なんです。ラブレターに例えるなら相手が気に入るような便箋で、相手が気に入る書き方で、相手が気に入る届け方でないと受けてもらえないんです。宣伝で賞を取ったものというのは必ずお客様の記憶の中にずっと残っています。宣伝とはブランドそのもので、お客様の中には商品と一体化しています。宣伝の行為とは販売の行為と一緒です。お客様の身になって宣伝しないといけないということが、マーケティングでは非常に重要なんです。

    2015.02.16

    第20回「経営者.マガジン読者の集い」 矢野経済研究所 章 小弘様 ご講演 (読む時間:約7分半)


    • 去る1月16日に第20回「経営者.マガジン読者の集い」が開催されました。今回は本誌12月号に登場された多彩なゲスト、読者である企業の代表者たちにご参加いただきました。 第一部では矢野経済研究所の章小弘総経理にご講演いただきました。矢野経済研究所で26年の経験を誇り、中国の内と外から発展を分析し続けた専門家です。
      講演のテーマは【 実需を重視する2015年の中国経済を読む、日本企業の新たなビジネスチャンスが到来! 】、講演の一部をご紹介します。


      ■矢野経済研究所 プロフィール


      創立56年の市場調査会社。市場調査、ビジネスマッチング、投資相談を展開しています。飲料、食品、医薬品、住宅設備機器、空調機器、携帯電話、物流機器、流通など幅広い分野を取り扱っており、最近は環境分野において日系の技術、設備を中国企業に仲介されています。


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      ■はじめに


      今日は、中国経済が実需に向かっていく転換期にあって、日系企業にどのようなビジネスチャンスがあるのかについてお話させていただきます。


      ■昨年までの経済状況


      まず中国の2014年の経済状況を振り返りたいと思います。
      中国では15年から20年近く高度経済成長が続いてきました。特に上海においては不動産、住宅、車、ブランドなどのぜいたく品などの販売が好調でした。


      メーカーについて見れば、賃金が悩みの種であるように感じます。賃金は大体10%以上上昇し、原材料も高騰しており、生産コストが全体的に高騰してしまっているため、経営を圧迫しているようです。そのため内陸や海外に工場を移転する企業も増えつつあります。


      私の知り合いにローカルのアパレルメーカー社長がおります。このメーカーは中国に現在11工場持っていますが、さらにミャンマーに工場を建てる予定があるそうです。


      住宅についていうと、新規着工あるいは新規竣工は厳しい状況にあるようです。先々週、上海のテレビで上海北西部の高級マンションが、竣工を引き延ばしているという事例を紹介していました。


      中古住宅の引き合い率も鈍化しています。今朝、上海のラジオで中古住宅の契約戸数が前年と比較して3割以上減ったと報じていました。


      小売りでは高級レストランの顧客も減ってきているようです。今までディナーではテーブルが2回転していましたが、今はその3分の1あるいは4分の1しか来客が入っていない状況のようです。


      矢野経済研究所がオフィスを置いているビルのオフィスは3割くらいが空き状況だそうです。同じフロアの中にスイスの高級時計メーカーがありますが、その社長によると上海では高級時計が全く売れないといいます。対前年度比でいうと6割減だそうです。そこで購買力の有りそうな内陸の重慶に新店舗を準備しており、また、正月前に内陸の富裕層をスイスに連れていき合計2000万元分購入してもらったそうです。


      このように内陸でのニーズはありますが、沿海地区は厳しい状況にあると言えます。


      ■中国の消費動向-まとめ編-


      2014年を振り返ってみると、暗い話が多いように聞こえますが、実際はそうでもないと見ています。なぜかというと、中国ではようやく実需品のニーズが上がってきているからです。私たちも肌で感じていますが、デパートなどでは日本と変わらない様子が見てとれます。


      ユニクロを例にとってみましょう。ユニクロの商品を購入している人に聞いてみると手頃という答えが返ってきます。ただ私からすると、日本では1900円のものがこちらでは190元で販売されており、中国のユニクロは高いように感じます。日本では土日セールなどで1000円くらいで買えるので4倍近くこちらでは値が張っています。それでもニーズがあるのは、デザインと実用性が優れているからだと言えます。例えばヒートテックの人気が高いようです。
      このように中国人の意識も変わりつつあるようです。


      中国の食品の実態を調べる食品安全検査によると、中国人の消費者は食品に対する意識が高まってきているようです。ここから日本の天然水などの食品の人気が高まってくると言えそうです。


      住宅についていうと、10年前に買ったマンションのリフォーム時に材質がいいものを使いたいというニーズがあります。例えば煉瓦や大理石で言うと、人体にあまりよくない放射線が出てしまうものもあるそうです。日本の間仕切り等に関する商材が様々な雑誌で紹介されていることもあり、品質のいいものを使いたいという中国人のニーズとあっていくのではと思っています。


      マンションについていうと和室や畳部屋のニーズも高まってきています。井草は自然のもので、足で触れると健康にいいということを中国人は知っています。また掘りごたつを作って麻雀をしたいという人も多いようです。
      和室等の知識は日本への旅行や雑誌、映画から得ているようです。日本の安心・安全で居心地がよく、機能性がある商品にはニーズがあります。


      ■中国の消費動向-分析編-


      これは中国人の生活レベルが上がってきていることを反映していると言えます。ただ贅沢品を欲しいという状態から、自分はなぜ生きており、自分の生活レベルがどのように変わっていくのかということに関心が移り、生活の質にこだわりをもち始めています。だからこそ海外旅行に遊びに出かけたりするようになっているのです。


      日本へは2014年に200万人が訪れています。他のアジアの国に行った中国人旅行者にはもう2度と行きたくないという人もしばしば見受けられますが、日本に行った人は是非もう1度行きたいという人が多いです。なぜかというと、食べ物が美味しく、買い物も楽しいうえ、入店から店を出る時までのサービスが行き届いているからです。


      ■日系企業のビジネスチャンス


      2015年の日本への渡航者の予測は300万人を超えると言われています。ここにはどのようなビジネスチャンスがあるといえるでしょうか。日本に滞在するのは1週間から10日くらいで、短くて3泊4日の滞在でしょう。そのときに日本の生活必需品を使ってもらい、技術、企業を知ってもらいます。


      また工場について見ると、中国は賃金の上昇や材料費の高騰により、自動化生産に移行しようという時期にあります。その際どのように管理するか、中国では全くノウハウをもっておらず、ここにもニーズがあると言えます。


      PM2.5は別にして環境関連技術では、工場敷地内の廃棄水の処理の仕方についても、2014年の10,11月に地方政府が2015年の3月あるいは5月までに環境レベルをクリアできない工場は生産中止にすると言い渡しています。設備も日本で作ったものをそのまま持ってきているようです。ここにもビジネスチャンスがあると言えるでしょう。


      ■購入方法の変化


      インターネットや通販の発達により消費者の購入の仕方が変わってきています。若者はショッピングモールでは買い物をしません。百貨店やショッピングモールで実物を見て、インターネットで購入しています。これにより企業のショッピングモールに対する見方も変わってきます。


      また以前は百貨店やショッピングモールに出店したかったり、ブースを作りたくてもハードルが高く実現できない日系企業が多かったと思います。しかし、先ほど申し上げた通り日本の商品の人気が上がることから状況が変わってくると私は思っています。


      ターゲットはもちろん富裕層です。データから見ると、やはり地域は上海や重慶がキーになる地域と言えそうです。


      ■最後に</p>


      中国のマーケットは巨大です。上海だけでも3000万人を超えています。
      ビジネスチャンスはたくさんありますし、日本商品は必ず売れると思っています。


      その際私共が少しでもお手伝いできたらと思います。


      ご清聴ありがとうございました。


    2015.01.23

    第19回「経営者.マガジン読者の集い」 紋兵衛 土肥 恒久様 ご講演 (読む時間:約7分半)


    • 去る12月17日に第19回「経営者.マガジン読者の集い」を花園飯店にて開催されました。 今回は本誌11月号に登場された多彩なゲスト、読者である企業の代表者たちにご参加いただきました。 第一部では紋兵衛 土肥 恒久様に【 人生後半に輝け ~蕎麦処・紋兵衞の歩み~ 】というテーマでご講演いただきました。土肥社長の講演の一部をご紹介します。



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      ■紋兵衛 土肥 恒久様 プロフィール


      中外製薬を55歳で早期退職、その後ドラッグストア「コクミン」の社長を経験。定年後の61歳から上海でまったくのゼロから出発して、蕎麦処「紋兵衛」事業を始められました。上海の飲食店は、多店舗展開する際、料理のクオリティの維持はもとよりサービスの標準化が非常に難しいと言われています。同じ屋号でも店舗が変われば味が変わる、サービスが変わってしまう。そんな中「なぜ紋兵衛はチェーン店として成功できたのか」「土肥流 商売の秘訣について」もお話しいただきました。


      ■中外製薬時で葛藤


      中外製薬在職時、45歳から5年おきにこのまま定年迎えていいのだろうかと考えるようになりました。当時の私の先輩を見ていると、ゴルフをやっていてもメンバーが足りなくなるようになったとか、奥さんとうまくいっていたけれど最近はうまくいかなくなったとか、あんまりみんな幸せじゃなさそうだったのです。よく先輩から電話がかかってきて1杯付き合えとか言われて行ったりしていましたが、ああいう先輩にはなりたくないなとよく思ったものです。


      50歳で独立しなければ自分の人生も厳しいと思っていましたが、その時々ではそれなりの責任を持った立場にあり、なかなか言い出せない状況にありました。しかし55歳のとき、当時私は東京支店長をしていたので社長とも直に会う機会がありましたので、この機会しかないと思い、一度チャンスをもらいたいと中外製薬を退職しました。


      製薬メーカーの中では医家向けとOTC(一般大衆向け)がありまして、私は一般大衆向けの担当でした。そういう関係からマツモトキヨシさんやサンドラッグさんといった人たちとの付き合いが長かったのです。その中に大阪のコクミンドラッグというドラッグチェーンも入っていました。あるときコクミンの絹巻さんという当時81歳の方が、杖を突いて私のところに訪ねて来られて、ちょっと応援してもらえないかと言われました。 またサラリーマンかと悩み、またメーカーから小売りの側に移ってどうなるのかと悩みました。しかし、絹垣さんとは長い付き合いもあるし、5年間という約束でコクミンの社長を引き受けました。


      ■コクミン絹巻元会長との出逢い


      振り返ってみると一番基本になったのは、この81歳の絹巻さんという当時コクミンの会長と出逢ったことでした。絹巻さんにはずいぶんと教えられました。 そのときから人生というのは一度しかなく、60歳や65歳という節目でやれやれなどと言っていてはダメで、80歳でも現役であろうと考え始めたのです。


      ■蕎麦との出逢い


      現役で80歳を迎えるにはどうしたらいいかと考えたところ、ボランティアではだめで、たくさんのお金はいらないけれども、なにがしかのお金入ることが必要だろうというところに行きつきました。 そして健康でなければならないとも思いました。無理をしてしまうと、結局は精神的におかしくなってしまうものです。私はビールが大好きで、ビールを飲み、そばを食べながら2,3人の人と話をして、ちょっとお金になればいいかなというようなことを考え、コクミンを退職した60歳くらいからそば教室に一生懸命通いました。


      午前中は毎日先生のところに通い、午後は私の家の1部屋に麺棒などをすべて揃えて蕎麦屋のようにして、そこでエプロンをして蕎麦打ちに励んでいました。


      蕎麦が出来上がる頃にはもう家族は出てしまっていなかったので、近所に配ったり、親戚に送ったりしていました。毎日たくさんの蕎麦を作っていたので、そば教室の中ではメキメキと頭角を現し、腕のいいそば職人になることができました。そのときに、定年後の生き方というテーマの番組に取り上げてもらいました。


      ■家族との付き合い


      私は中外製薬の5年間、コクミンの5年間で単身赴任していたこともあり、久しぶりに家に帰って女房と生活すると何か住み心地が良くありませんでした。猫が7匹くらいいて猫の缶詰は山ほどあるけれども、私のものはあまりないということもよくありました。
      定年後は女房が一番大事だし、仲良くしなきゃならないのですが、女房との距離をあまり縮めず、離れすぎず、適度な距離でいるにはどうしたらいいかといつも考えており、そこで上海に出ていこうと決めました。
      上海に来てから、今では1か月2回くらい往復していますが、ものすごく愛が実っています。


      ■上海に来てから


      その頃私は1か月間、毎日1万5千歩歩いていました。その時に何かないかなということでいろいろ考えていました。私は麺が好きでしたが、上海にはあまりおいしいと言えるものはありませんでした。そこで私は蕎麦を勉強したこともあり、蕎麦屋を開こうと思いました。


      ■戦略


      当時日本料理店はたくさんありましたが、そういう中でやっていくにはどうしようかといろいろ考え、まずはそば教室から始めました。上海のどこでやればいいかと考え、日本人学校の前のマンションの1室を借りました。
      すると徐々に参加者も増え、参加者の中から声が上がりました。そこで紋兵衛1号店を出したのです。
      当時はお金がなかったので、飲食店の半分を借りてオープンしました。周囲は右も左も日本料理という状況で皆さん心配していました。
      しかし、これはひとつの戦略でした。中外製薬にいたときにV字型戦略というものがありました。中外製薬はメーカーの中では8番目くらいですが、なかなか研究費を多く使えるメーカーには勝てないという状況にありました。そこで中外製薬が選んだのは、癌と骨という特化した部分を深く掘り下げようというものでした。これがV字型戦略です。私はこの思想がとても好きで、これを蕎麦屋に活かしました。


      つまりどれだけ日本料理店が周りにあったとしても、1つだけ本物の蕎麦があれば間違いなく繁盛すると考えたのです。世の中には蕎麦が好きな人がいますよね。私も蕎麦が好きですし、お昼はそばと決めている人もいます。


      店はおかげさまで階段の下まで並んでいただけるような賑わい見せ、1店舗目はなかなか忙しい店になりました。


      ■店舗運営


      従業員はホールと厨房がいますが、毎日同じ顔を見てると、いろいろと問題がでてきました。そこで2店舗あれば従業員を入れ替えることもできるということで、古北に2店舗目を出しました。


      紋兵衛では従業員を特に大切にしています。福利厚生を大事にしたり、日本語の先生を呼んで勉強会をしたりしています。こういうことを続けたこともあり、創業のころからいる従業員がたくさんいます。世間の風に当たって帰ってくる従業員もいます。
      よく小売業だと品揃えとか店の規模とかを言われまするが、これは誰でもできることです。やはり品質と技術と財務だけでなく、売るという人の力をこれからも大事にしていきたいと思っています。


      ■出会い


      このような思想になったのは2人の方との出逢いによるものです。


      1人目は豊田佐吉さんです。この方の本を読んだときです。佐吉は今から150年くらい前の人で、上海に来て豊田織機を作った人です。トップ自ら上海に来て、中国人幹部全員の家に赴き、同じものを食べながら一緒に頑張ろうとしていたそうです。 この思想は今の私に大きく影響しています。


      もう一人はコクミンの絹巻さんです。この人は薬剤師だったが、若いころは1軒1軒、お店のお客さんに身体は大丈夫かと尋ねて回っていたそうです。お客さんを大事にしている人です。若いころは会長だったこの方に会うことは難しかったのですが、どういうわけか可愛がっていただいて、結果的に一緒に仕事をすることになりました。


      私は彼ら2人のやり方を見て、人を大切にしており、これからもそのような活動を続けていこうと思っています。


      ■中国での飲食店運営


      今、こちらの飲食関係に携わっている方がいらっしゃると思いますが、上海での多くの飲食店は零細企業で、ちょっと油断しているとすぐおかしくなってしまいます。言葉の問題もあるし、中国人と日本人の育ちの違いもあるから、細かいところまでなかなか分かってもらえないところもあります。 上海では1年間にだいたい300店くらい飲食店ができますが、300店消えています。その一方で、私は毎年店舗を増やしています。この差は何かというと、それは先ほど言った1つのしっかりとした考え方があり、仕事をしてもらう人に本当に楽しい職場にしてもらっていることが挙げられます。


      私は幹部の実家には大体行っています。そして家族全員に集まってもらって、お嬢さんを預からせてもらっていますと言っています。家族に会うことで、この人の後ろにはこれだけの人たちがいるんだなと思えば思うほど、大事にしなければならないと感じさせられます。


      よくあるケースとして長く中国にいて、会社にいてもあれだから早期で退職して飲食店でもやろうかなという人は大体つぶれています。飲食業はそう簡単なものではありません。オーナー自ら飲んで、食べて、金を払わないで帰るのは典型的なダメなオーナーで、そういうところは大体つぶれます。


      従業員を大切にする点ですが、私の店には独学で日本語検定2級まで取っている子がいますが、まだ日本に行ったことがないと言います。なので来年から2名ずつくらい日本に留学してもらおうと考えており、これをやることで新しい道を作ることになると思っています。これは事業人としてやるべきことだろうと思っています。


      私はこのように常に人を大事にすることを考えています。


      今紋兵衛は私も店長もいなくても従業員たちだけでできてしまいます。そうなるためにはやはり任せる勇気とコミュニケーションが大事だと思います。
      コミュニケーションでいうとみんなが好きなのは旅行ですね。あとは1か月に1回食事会をしたりしています。


      ■社長のあり方


      私は社長こそが現場に降りていかなければいけないと思っています。コクミンの社長をしていたときも「現場に神宿る」という言葉を使っていました。私がコクミンに入った時は、メーカーから小売りに入っているので、立場が逆となったのでほとんどわからない状態でした。
      そこで私は自転車を使って店を回り、お客さんと同じ位置に立ち、手に取るものをみたり会話を聞いたりしました。実はこれが小売りの原点であり、マツモトキヨシの社長も実はいつも現場にいるそうです。


      コクミン入社当初、マツモトキヨシの社長にどうしていつも店を回って商品を触っているのか聞いたところ、現場に行けばお客さんの目を見ることができると言っていました。


      今もできるだけ店に行き、1人でカウンターに座ったり、相手してもらったり、料理を見たり、お客さんの感想を聞いたりしています。
      私がお店に行き見てよかったと思う話は、直接ではなく幹部を通じて伝えてもらっています。人は直接よりも間接で褒められた方がうれしいと思うからです。


      ■人付き合いについて


      実は、私は上海に来てから6年間は日本の知り合いとは誰とも会いませんでした。よく後輩が遊びに来るといってきましたが、会うのを断っていました。自分の事業をできないからです。 でも店舗が6,7店舗くらいになると、だんだん知名度も上がり、あんまり会わないのも失礼になるので、久しぶりに会ったりもしました。


      生きていく上では友達も大事だし、奥さんも大事だが、1人で生きていける力をつけないことには80歳現役はできないと思います。また健康でいるためにはいい友達が必要で、話し相手がいなくなったり、自分の言うことを聞いている人間しかいなくなったら何もできなくなってしまいます。


      1人で生きていこうと行動を起こせば、必ず助けてくれる人がいる。計算ばかりしていたら短い縁で終わってしまいます。私は県人会等に顔をだし、先輩として後輩にエールを送る活動をしています。また復旦大学や交通大学に短期で留学している人に対しても研修をして、孫子の兵法などを教えています。そういう活動を通じて私も勉強し、皆さんを応援しているのです。


      ■今後について


      私はこの9年間、紋兵衛のブランドを作ることに一番力点を置いてきました。ブランドを作る上では、蘇州などに店舗を出しても上海では話題にもなりません。上海での家賃は高くて厳しいという人もいるが、ここに柱を立て、ブランディングできればどこに行こうとやれると考えています。
      そして来年からはやっと、内陸に行く方針を立てて頑張っています。


      最後に中国は法律も政策もいろいろ変わっており、今後はより発展していくと思います、しかし、日本のマスコミを見ていると本当に中国は悪いという報道が目につくが、決してそうではありません。ここで商売をさせてもらっている以上あまり文句を言ってはダメで、現地の人と親しくなり応援をしてもらえるよう頑張ることが大切だと思うのです。


    2014.12.22

    第18回「経営者.マガジン読者の集い」 cado 代表取締役 CEO 古賀宣行様 ご講演 (読む時間:約7分半)

    • 去る11月18日に第18回「経営者.マガジン読者の集い」を花園飯店にて開催されました。 今回は本誌10月号に登場された多彩なゲスト、読者である企業の代表者たちにご参加頂きました。第一部ではcado 代表取締役CEOの古賀宣行様に【cado:技と美の融合、本格家電への挑戦】というテーマで ご講演頂きました。古賀社長の講演の一部をご紹介します。





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      <古賀宣行様profile>


      かつて古賀氏は、SONY最大のヒット商品と謳われた「ウォークマン」を開発。

      SONYでモノづくりの真髄を学んだ古賀社長、2010年、当時赴任していた中国における開発ユニットの組織改変に伴う帰任命令を契機に起業を決意します。

      ある空気清浄機の研究者、そしてあるデザイナー、そしてある中国企業との出逢いが 化学反応をひき起こし、世界最高の「空気清浄機」が誕生することになります。

      2012年に誕生した「cado」は技と美の融合で瞬く間に注目のブランドへと躍進。  事業家「古賀宣行社長」にご講演頂きました。


      ■53歳にしてソニーから独立


      2006年にソニーのオーディオチャイナビジネスセンターという組織が深圳に作られました。ソニーのオーディオ事業がなかなか日本で開発するには採算が厳しいという中で事業部を移管することになったのです。テープレコーダー、ウォークマン、ICレコーダー、ラジオ、ラジカセ等のいわゆる一番成熟した商品を深圳のほうにもってきて、商品企画から設計から一貫してやるような事業部を作ることになり、私はそこの責任者として2006年に赴任しました。また上海にソニーチャイナのR&Dの本部があり、ここの責任者を兼務し、上海と深圳を行ったり来たりの生活をしておりました。こうした中で2010年にソニーからの帰任命令が出たのと同時に、これがいいきっかけになると思い、53歳のときに独立を決意しました。


      ■空気清浄機の権威の方との出会い


      私はNHKのクローズアップ現代の取材を受けられた中興精密の総裁、張氏と、十和田オーディオというソニーのラジオを作る会社の社長と偶然にも知り合いで、この2人と一緒に出資をして会社を作ることになり、それぞれの頭文字を取って社名をCTKと決めました。2010年7月に会社を作り、作った時には何をするか全く何も決めないまま独立しました。


      そうこうするうちにソニーのOBの方から空気清浄機の権威の大学の先生がいらっしゃるということで、一度会ってみませんという電話をいただきました。それですぐに飛んでいき、会社を設立した翌月の2010年の8月に研究室に行きました。


      そのときに先生から、日本の空気清浄機はマイナスイオンを中心としたプロモーションが中心になってしまっているが、本来の空気清浄機の性能をもっともっと追及してほしいというレクチャーを受けました。先生が開発された試作品は、当時最高の性能と言われていた大手の製品とは比べ物にならないほどの性能を実現できており、私はこの説明を受けたときに後発としてこれからやっていくにあたって空気清浄機であればまだ開発の余地はあると直感し、空気清浄機の開発をすることを決意しました。


      ■1号機発売までの試行錯誤


      ただ空気清浄機をやっても何か特徴がなければならないということでいろいろ検討しました。結果的にいわゆるUVではなく、日本で開発された可視光に反応する可視光型の光触媒に活性炭にコーティングしたらどうなるのかと考えて、いろいろと試行錯誤しました。


      活性炭は吸着力が強いのですが、活性炭の欠点としては寿命が短く、大体2、3か月たてば性能が劣化するという欠点があるので、この寿命をもう少し伸ばせないかということをずっと考えておりました。 そこで光触媒をコーティングすることでLEDを照射し有害な物質を分解でき、再生できるのではないかという発想から実際にコーティングをしてみました。


      ところが実際にはなかなかうまくいかず、コーティングすると活性炭そのものの性能自体がガクンと落ちてしまい、使い物にならない状態がずっと続いていました。コーティングの仕方等、試行錯誤しながら進め、最終的には目的としていた、吸着、分解、再生というサイクルを回すことが何とかできるようになり、商品化することができました。これを使って商品化した1号機がプラッシーニという業務用の機械です。


      プラッシーには日本、中国で合計3000台出荷されており、性能的にはまずまずと言えると思います。1年間の試行錯誤を通じて空気清浄機がどのようなものか、ポイントが何なのかが分かった次第です。


      ■デザイナー鈴木健氏との出会い


      私はもともとコンシューマー出身なので、コンシューマー向けの開発をしたいと思っておりました。コンシューマー向けの製品を作るにあたってはデザインが大切です。コンシューマー向けでは今のデザインではとてもいけないと感じており、いいデザインを作らないといけないと思っていました。


      そのときに偶然知人の紹介で、鈴木健という東芝出身のデザイナーと出会いました。 彼は東芝退職後、amadanaというブランドのデザインを担当していました。彼はデザインをいくら頑張っても性能がついてこないと限界があるという悩みを持っていました。そのような悩みを持つなかで、amadanaを退職し、1人でデザイン会社を立ち上げていた時期でした。


      こういった二人が2011年5月に出会い、会った瞬間に意気投合し翌月、エクレア(現CADO) という会社を立ち上げます。私が技術を担当し、鈴木健がデザインを担当するという形でスタートしました。2011年の6月からスタートし、空気清浄の開発をまずやろうということで、2012年12月にCADOの1号機C700を発表しました。


      ■世界ナンバーワン、オンリーワンのものを


      試作品ができたときにヨドバシカメラさんに非常に気に入ってもらい、「ぜひうちで売らせてほしい」と言ってもらえました。そういった関係もあり日本では現状、家電量販店ではヨドバシカメラさんでしか弊社の空気清浄機は取り扱われておりません。ただ、ヨドバシカメラさんのトップの方からは世界ナンバーワンのお墨付きがなければダメと言われました。世界ナンバーワンと言われても空気清浄機の規格には世界標準がないため悩んだのですが、規格が厳格に運用されていると言われている、アメリカの家電製品協会(AHAN)のお墨付きを取ろうと尽力しました。
      それが実現し、ようやくヨドバシカメラ20店舗一斉導入することができました。


      CADR(クリーンエア供給率)はアメリカ家電製品協会で決めた空気清浄機の集塵性能を測る国際的な基準となっています。たばこと埃と花粉、この3つの項目で測定をします。この規格は本当に厳格で毎年抜き打ち検査をされ、結果が悪いと通告が来ます。誰でも見られるようにHPで公開もされています。


      CADRで最高得点を取っているブランドが4つありますが、我々はそのうちの1社Blueairを目標としました。Blueairはスウェーデンの空気清浄機専門の会社で、シンプルな設計で空気清浄機の開発に非常にまじめに取り組んでいる会社です。我々はBlueairに追いつけ追い越せということで日々勤しみ、臭いも埃も取れるという面でついにCADRナンバーワンを達成し、Blueairに追いつけ追い越せという目標をなんとか達成できたのではないかと考えています。


      これで空気清浄機は世界ナンバーワンというお墨付きをもらうことができ、今では車用を始めとするさまざまなラインアップを揃えることができています。


      ■モノづくりへの想い


      私はモノを作る上で大事にしている考えが2つあります。 1つは「Small is beautiful」という考え方です。


      ウォークマンを開発した際には、5,6人で1チームを構成していました。当時は他社よりも1ミリでも薄く、1グラムでも軽い製品を開発するという戦いの中で、メカと電気の担当者が一体になって開発をしていました。例えば自分でデザインをし、材料を取り入れて、加工をし、組み立てをして、ニスを塗り、顧客に売るという職人がいれば、当然顧客からの反応を基に成功したかどうかを判断することができます。


      当時のウォークマンはまさにこのような感じで開発をしていました。


      しかし会社を辞めるきっかけにもなったのですが、商品がどんどん変わりソフトウェアの比重が増えていく中で、開発人数も大人数になり、ある意味仕方がないことですが、分業化が始まりました。そうすると、例えば椅子の脚だけを作る職人が出てくると思いますが、その人の目標は次工程の座面にフィットさせることだけが目標になってしまい、顧客の顔がなかなか見えづらくなってしまいます。多くの大企業はこのような分業化の弊害で苦労をしていると思います。自分の事業部だけで決められず、全体の責任をなかなか取れなくなってしまっているのではないでしょうか。私は「Small is beautiful」を実践したくて起業したので、分業は仕方がありませんが、分業しながらもお客様の顔が見ることができるようにしながらの開発を目指しています。


      もう1つは高速経営です。我々は商品企画、設計、製造、営業を行いますが、これをいかに高速で回すかが大事だと思います。高速で回らない会社でよくあるのは、部門間がスムーズに流れず、部分最適に重点が置かれてしまい、全体最適がはかれないというものです。大切なのはリーダーが強いリーダーシップを取り、意思の疎通をあっという間にはかることだと思います。


      ■CADOのこれから


      弊社の開発部隊はそれほど多くなく、コアでやっている人間は片手で数えられるくらいですが、3年間で多くの製品を出せたと思っています。これからもっとCADOを進化させていきたいですが、技術と美を融合させることに加え、モノを作る上でのこだわりや情熱といった人間の心を込めてモノを作ることを一番大切にしたいです。その結果世の中の方々に感動を与えられたらなと思い、開発をしている次第です。


      今後は中国の環境汚染を改善するために、空気清浄機の次は本格的なウォーターサーバーを作り、安心して美味しい水が飲める環境を提供したいと思っています。


    2014.11.29
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