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第19回「経営者.マガジン読者の集い」 紋兵衛 土肥 恒久様 ご講演 (読む時間:約7分半) 2014.12.22


去る12月17日に第19回「経営者.マガジン読者の集い」を花園飯店にて開催されました。 今回は本誌11月号に登場された多彩なゲスト、読者である企業の代表者たちにご参加いただきました。 第一部では紋兵衛 土肥 恒久様に【 人生後半に輝け ~蕎麦処・紋兵衞の歩み~ 】というテーマでご講演いただきました。土肥社長の講演の一部をご紹介します。



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■紋兵衛 土肥 恒久様 プロフィール


中外製薬を55歳で早期退職、その後ドラッグストア「コクミン」の社長を経験。定年後の61歳から上海でまったくのゼロから出発して、蕎麦処「紋兵衛」事業を始められました。上海の飲食店は、多店舗展開する際、料理のクオリティの維持はもとよりサービスの標準化が非常に難しいと言われています。同じ屋号でも店舗が変われば味が変わる、サービスが変わってしまう。そんな中「なぜ紋兵衛はチェーン店として成功できたのか」「土肥流 商売の秘訣について」もお話しいただきました。


■中外製薬時で葛藤


中外製薬在職時、45歳から5年おきにこのまま定年迎えていいのだろうかと考えるようになりました。当時の私の先輩を見ていると、ゴルフをやっていてもメンバーが足りなくなるようになったとか、奥さんとうまくいっていたけれど最近はうまくいかなくなったとか、あんまりみんな幸せじゃなさそうだったのです。よく先輩から電話がかかってきて1杯付き合えとか言われて行ったりしていましたが、ああいう先輩にはなりたくないなとよく思ったものです。


50歳で独立しなければ自分の人生も厳しいと思っていましたが、その時々ではそれなりの責任を持った立場にあり、なかなか言い出せない状況にありました。しかし55歳のとき、当時私は東京支店長をしていたので社長とも直に会う機会がありましたので、この機会しかないと思い、一度チャンスをもらいたいと中外製薬を退職しました。


製薬メーカーの中では医家向けとOTC(一般大衆向け)がありまして、私は一般大衆向けの担当でした。そういう関係からマツモトキヨシさんやサンドラッグさんといった人たちとの付き合いが長かったのです。その中に大阪のコクミンドラッグというドラッグチェーンも入っていました。あるときコクミンの絹巻さんという当時81歳の方が、杖を突いて私のところに訪ねて来られて、ちょっと応援してもらえないかと言われました。 またサラリーマンかと悩み、またメーカーから小売りの側に移ってどうなるのかと悩みました。しかし、絹垣さんとは長い付き合いもあるし、5年間という約束でコクミンの社長を引き受けました。


■コクミン絹巻元会長との出逢い


振り返ってみると一番基本になったのは、この81歳の絹巻さんという当時コクミンの会長と出逢ったことでした。絹巻さんにはずいぶんと教えられました。 そのときから人生というのは一度しかなく、60歳や65歳という節目でやれやれなどと言っていてはダメで、80歳でも現役であろうと考え始めたのです。


■蕎麦との出逢い


現役で80歳を迎えるにはどうしたらいいかと考えたところ、ボランティアではだめで、たくさんのお金はいらないけれども、なにがしかのお金入ることが必要だろうというところに行きつきました。 そして健康でなければならないとも思いました。無理をしてしまうと、結局は精神的におかしくなってしまうものです。私はビールが大好きで、ビールを飲み、そばを食べながら2,3人の人と話をして、ちょっとお金になればいいかなというようなことを考え、コクミンを退職した60歳くらいからそば教室に一生懸命通いました。


午前中は毎日先生のところに通い、午後は私の家の1部屋に麺棒などをすべて揃えて蕎麦屋のようにして、そこでエプロンをして蕎麦打ちに励んでいました。


蕎麦が出来上がる頃にはもう家族は出てしまっていなかったので、近所に配ったり、親戚に送ったりしていました。毎日たくさんの蕎麦を作っていたので、そば教室の中ではメキメキと頭角を現し、腕のいいそば職人になることができました。そのときに、定年後の生き方というテーマの番組に取り上げてもらいました。


■家族との付き合い


私は中外製薬の5年間、コクミンの5年間で単身赴任していたこともあり、久しぶりに家に帰って女房と生活すると何か住み心地が良くありませんでした。猫が7匹くらいいて猫の缶詰は山ほどあるけれども、私のものはあまりないということもよくありました。
定年後は女房が一番大事だし、仲良くしなきゃならないのですが、女房との距離をあまり縮めず、離れすぎず、適度な距離でいるにはどうしたらいいかといつも考えており、そこで上海に出ていこうと決めました。
上海に来てから、今では1か月2回くらい往復していますが、ものすごく愛が実っています。


■上海に来てから


その頃私は1か月間、毎日1万5千歩歩いていました。その時に何かないかなということでいろいろ考えていました。私は麺が好きでしたが、上海にはあまりおいしいと言えるものはありませんでした。そこで私は蕎麦を勉強したこともあり、蕎麦屋を開こうと思いました。


■戦略


当時日本料理店はたくさんありましたが、そういう中でやっていくにはどうしようかといろいろ考え、まずはそば教室から始めました。上海のどこでやればいいかと考え、日本人学校の前のマンションの1室を借りました。
すると徐々に参加者も増え、参加者の中から声が上がりました。そこで紋兵衛1号店を出したのです。
当時はお金がなかったので、飲食店の半分を借りてオープンしました。周囲は右も左も日本料理という状況で皆さん心配していました。
しかし、これはひとつの戦略でした。中外製薬にいたときにV字型戦略というものがありました。中外製薬はメーカーの中では8番目くらいですが、なかなか研究費を多く使えるメーカーには勝てないという状況にありました。そこで中外製薬が選んだのは、癌と骨という特化した部分を深く掘り下げようというものでした。これがV字型戦略です。私はこの思想がとても好きで、これを蕎麦屋に活かしました。


つまりどれだけ日本料理店が周りにあったとしても、1つだけ本物の蕎麦があれば間違いなく繁盛すると考えたのです。世の中には蕎麦が好きな人がいますよね。私も蕎麦が好きですし、お昼はそばと決めている人もいます。


店はおかげさまで階段の下まで並んでいただけるような賑わい見せ、1店舗目はなかなか忙しい店になりました。


■店舗運営


従業員はホールと厨房がいますが、毎日同じ顔を見てると、いろいろと問題がでてきました。そこで2店舗あれば従業員を入れ替えることもできるということで、古北に2店舗目を出しました。


紋兵衛では従業員を特に大切にしています。福利厚生を大事にしたり、日本語の先生を呼んで勉強会をしたりしています。こういうことを続けたこともあり、創業のころからいる従業員がたくさんいます。世間の風に当たって帰ってくる従業員もいます。
よく小売業だと品揃えとか店の規模とかを言われまするが、これは誰でもできることです。やはり品質と技術と財務だけでなく、売るという人の力をこれからも大事にしていきたいと思っています。


■出会い


このような思想になったのは2人の方との出逢いによるものです。


1人目は豊田佐吉さんです。この方の本を読んだときです。佐吉は今から150年くらい前の人で、上海に来て豊田織機を作った人です。トップ自ら上海に来て、中国人幹部全員の家に赴き、同じものを食べながら一緒に頑張ろうとしていたそうです。 この思想は今の私に大きく影響しています。


もう一人はコクミンの絹巻さんです。この人は薬剤師だったが、若いころは1軒1軒、お店のお客さんに身体は大丈夫かと尋ねて回っていたそうです。お客さんを大事にしている人です。若いころは会長だったこの方に会うことは難しかったのですが、どういうわけか可愛がっていただいて、結果的に一緒に仕事をすることになりました。


私は彼ら2人のやり方を見て、人を大切にしており、これからもそのような活動を続けていこうと思っています。


■中国での飲食店運営


今、こちらの飲食関係に携わっている方がいらっしゃると思いますが、上海での多くの飲食店は零細企業で、ちょっと油断しているとすぐおかしくなってしまいます。言葉の問題もあるし、中国人と日本人の育ちの違いもあるから、細かいところまでなかなか分かってもらえないところもあります。 上海では1年間にだいたい300店くらい飲食店ができますが、300店消えています。その一方で、私は毎年店舗を増やしています。この差は何かというと、それは先ほど言った1つのしっかりとした考え方があり、仕事をしてもらう人に本当に楽しい職場にしてもらっていることが挙げられます。


私は幹部の実家には大体行っています。そして家族全員に集まってもらって、お嬢さんを預からせてもらっていますと言っています。家族に会うことで、この人の後ろにはこれだけの人たちがいるんだなと思えば思うほど、大事にしなければならないと感じさせられます。


よくあるケースとして長く中国にいて、会社にいてもあれだから早期で退職して飲食店でもやろうかなという人は大体つぶれています。飲食業はそう簡単なものではありません。オーナー自ら飲んで、食べて、金を払わないで帰るのは典型的なダメなオーナーで、そういうところは大体つぶれます。


従業員を大切にする点ですが、私の店には独学で日本語検定2級まで取っている子がいますが、まだ日本に行ったことがないと言います。なので来年から2名ずつくらい日本に留学してもらおうと考えており、これをやることで新しい道を作ることになると思っています。これは事業人としてやるべきことだろうと思っています。


私はこのように常に人を大事にすることを考えています。


今紋兵衛は私も店長もいなくても従業員たちだけでできてしまいます。そうなるためにはやはり任せる勇気とコミュニケーションが大事だと思います。
コミュニケーションでいうとみんなが好きなのは旅行ですね。あとは1か月に1回食事会をしたりしています。


■社長のあり方


私は社長こそが現場に降りていかなければいけないと思っています。コクミンの社長をしていたときも「現場に神宿る」という言葉を使っていました。私がコクミンに入った時は、メーカーから小売りに入っているので、立場が逆となったのでほとんどわからない状態でした。
そこで私は自転車を使って店を回り、お客さんと同じ位置に立ち、手に取るものをみたり会話を聞いたりしました。実はこれが小売りの原点であり、マツモトキヨシの社長も実はいつも現場にいるそうです。


コクミン入社当初、マツモトキヨシの社長にどうしていつも店を回って商品を触っているのか聞いたところ、現場に行けばお客さんの目を見ることができると言っていました。


今もできるだけ店に行き、1人でカウンターに座ったり、相手してもらったり、料理を見たり、お客さんの感想を聞いたりしています。
私がお店に行き見てよかったと思う話は、直接ではなく幹部を通じて伝えてもらっています。人は直接よりも間接で褒められた方がうれしいと思うからです。


■人付き合いについて


実は、私は上海に来てから6年間は日本の知り合いとは誰とも会いませんでした。よく後輩が遊びに来るといってきましたが、会うのを断っていました。自分の事業をできないからです。 でも店舗が6,7店舗くらいになると、だんだん知名度も上がり、あんまり会わないのも失礼になるので、久しぶりに会ったりもしました。


生きていく上では友達も大事だし、奥さんも大事だが、1人で生きていける力をつけないことには80歳現役はできないと思います。また健康でいるためにはいい友達が必要で、話し相手がいなくなったり、自分の言うことを聞いている人間しかいなくなったら何もできなくなってしまいます。


1人で生きていこうと行動を起こせば、必ず助けてくれる人がいる。計算ばかりしていたら短い縁で終わってしまいます。私は県人会等に顔をだし、先輩として後輩にエールを送る活動をしています。また復旦大学や交通大学に短期で留学している人に対しても研修をして、孫子の兵法などを教えています。そういう活動を通じて私も勉強し、皆さんを応援しているのです。


■今後について


私はこの9年間、紋兵衛のブランドを作ることに一番力点を置いてきました。ブランドを作る上では、蘇州などに店舗を出しても上海では話題にもなりません。上海での家賃は高くて厳しいという人もいるが、ここに柱を立て、ブランディングできればどこに行こうとやれると考えています。
そして来年からはやっと、内陸に行く方針を立てて頑張っています。


最後に中国は法律も政策もいろいろ変わっており、今後はより発展していくと思います、しかし、日本のマスコミを見ていると本当に中国は悪いという報道が目につくが、決してそうではありません。ここで商売をさせてもらっている以上あまり文句を言ってはダメで、現地の人と親しくなり応援をしてもらえるよう頑張ることが大切だと思うのです。


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