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第24回「経営者.マガジン読者の集い」 春秋航空董事長 王正華様 ご講演 (読む時間:約6分) 2015.07.10

講演タイトル「イノベーションと道徳的企業経営」


 6月8日に行われた「経営者.マガジン」読者の集いに参加した王氏は、終始穏やかな笑みを浮かべる親しみやすい人物であり、成功したビジネスマンという印象とは結びつかなかった。しかし、演台に立ち話し始めた王氏からは、情熱と力が感じられた。ここに、王氏が語った講演をまとめたい。


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2平米の小屋で創業、世界100強の企業へ


春秋航空は中国初のLCC航空であり、今や54機の飛行機を有し、年商73.28億元の企業である。その始まりは1981年、2平米の小さな小屋でスタートした春秋旅行社だった。春秋航空はやがて大手旅行社へと成長し、2005年には春秋航空をスタートする。その春秋航空も今や世界100強に属する企業へと成長している。


航空業界は3年から5年の間は欠損となるのが一般的だ。しかし春秋航空は創立初年度から利益を上げ続けてきた。航空業界の慣例として、利益は1機あたりの額で計算する。2014年には春秋航空の1機当たりの利益は1964万元、これは全中国の航空会社中トップの数字である。大部分の航空会社は春秋航空の利益の40%から50%ほどであり、世界的に見てもアメリカのサウスウェスト、ユナイテッド、そして日本のANAよりも高い額である。


王氏は「常に挑戦し、イノベーションのある人は失敗することはない、諦めた時に初めて失敗がやってくるのだ」と語る。これは稲盛和夫氏の言葉に学んだものなのだという。


「茨城空港と地方経済の救世主」


春秋航空が始めて飛ばした国際便は日本へのものだった。今でも国際便のほとんどが日中間のものだ。


2009年に世界的な経済危機が収束しつつあった頃から、春秋航空は日本進出の為の市場研究を始めていた。他企業との競争とならない路線を選ぶことをアドバイスされた春秋航空が選んだのは地方空港だった。東京付近では茨城、大阪付近は香川、福岡付近では佐賀である。


始め茨城空港にはアシアナ航空も飛んでいたが、やがて彼らは撤退した。多くの人たちが茨城便は失敗となると思っていたが、春秋航空は飛行機を飛ばし続けた。アシアナ航空は1便当たり50名ほどの座席占有率だった。だが春秋航空は毎便170から180席が埋まっており、座席占有率は95%以上だった。春秋航空のバックには春秋旅行社がおり、座席占有率を上げていた。


「春秋航空の飛行機が到着するたびに茨城空港は沸き立ちました。飛行機の利用者はビジネスマンではなく、購買旅行の高い旅行者だったのです。その頃はホームベーカリーが中国の旅行客に人気で、毎回空港で売られているホームベーカリーが売り切れていたのを覚えています」と王氏は当時を思い返す。茨城空港の免税店の社長は王氏にこっそり囁いた。「次に春秋航空がどの空港に飛ぶか先に教えてください。そしたら私は先に行ってそこに大きな店を借りますから」と。


たったの2便しか飛んでおらず、先が危ぶまれていた茨城空港は、2013年に「アジア太平洋地区優秀LCCエアターミナル」の栄誉を獲得した。この日、茨城県知事は王氏に手紙を送り、春秋航空に感謝を示した。日本のメディアも春秋航空は茨城空港と地方経済の救世主だと書き立てた。


関西国際空港に活気を呼ぶ


茨城空港以外の佐賀、香川の二空港でも同様のことが演じられた。そして日本第二の国際空港である関西国際空港の発展にも春秋航空は寄与したと王氏は思っている。


王氏は2012年、大阪に行ったときの光景を思い出す。大金を費やして作り上げた素晴らしい空港だが、関空は全く繁栄していなかった。これは王氏だけがそう感じたわけではない。「関空」というキーワードで検索すれば、当時の閑散とした様子を語る文章をいくつも見つけることができるだろう。どの文章にも共通しているのは「関空は設備はオリジナリティーもあり、先進的、ディテールも細かく、使いやすい。だがガランとした寒々しい空間だ」というものだ。 王氏は関空の社長に「私に2年の時間をください。関空を茨城空港のように盛り上げてみせます」と請け負った。小さな航空会社の大きな言葉に、関空の社長は多少の疑いは持っていたようだ。途中、日中関係のもつれもあって、多少の遅れはあったものの、2014年になって春秋空港は上海から大阪へと飛んだ。どの便も往復はほとんど満席だった。その後も重慶、武漢、天津と、春秋航空は次々と関空から中国の各地方への飛行機を飛ばした。「武漢、天津便は他の大会社も飛ばしたことがあります。誰もが春秋航空も失敗するだろうと思っていました」と王氏は語る。


なぜこれまで大会社が失敗したのか。その理由は利用者が少なかったことだ。毎便の利用者は2、30名のビジネス客のみ。しかし春秋航空は違った。旅行社のバックアップもあり、旅行者でほとんどの席を埋めてみせた。150席は旅行者、残りの30席をビジネス客という割合を保持することで、どの便も満席となってしまい、ビジネスマンは旅行社に連絡して、席を抑えねばならない状況にすらなっていた。


王氏は2年ではなく、1年で約束を実現した。関空は春秋航空の参入により賑やかさを増し、それが呼び水となって多くの航空会社が大阪航路に参入、関空は大きな変化を遂げた。エアポートターミナルは込み合い、空港周辺のホテル、バスなども興隆した。王氏が関空を訪れた時、周辺のホテルはどこも満室で、価格も2倍になっていたという。関空は今では第三、第四ターミナルの拡大計画を発表している。


企業立ち上げに大切なのは創造性


大阪路線が人気となったことで、春秋航空は更に日本への便数を増やす。6月末には名古屋と上海、合肥、ハルピン、フフホト、石家庄が増え、日本便は15本に増えた。「人が持っていない物を持ち、人が持っているならばより良いものを手にし、もっといいものを手にし、人が優れている時には別のものに代える」これが王氏が貫徹してきたやり方だ。「企業を作る時にもっとも大切なものは創造性、その次は自分の優位点と市場のトレンドを知ることです」と王氏は語る。


サービスに優れた日本で戦うために


春秋航空の日本会社は2010年から準備を始め、2014年に日本国内便を初就航した。現在、日本国内路線は成田から高松、広島、佐賀の各地へ飛んでおり、利用率は70から80%となっている。日本を初めての海外拠点とした理由は1つ目が距離の近さ、2つ目が市場の潜在力だ。優秀なパイロットが比較的多いところも理由の一つではある。


王氏と日本とが繋がったのは20年以上も前、まだ春秋旅行社だけを経営していたときのことだ。春秋航空が初めて受け入れた外国人ツアーが、上海観光にやってきた日本のツアーだったのだ。40度ほどにもなる上海の夏、誰もが暑さに喘いでいたが、日本のガイドだけはスーツを着たまま日陰にも入らず炎天下のもとにいた。王氏がその理由を聞いたところ、ガイドはいつも旅行者がすぐ見つけられるところにいなければならないからだと答えた。王氏はそれに感じ入り、このサービス精神を模範とするように春秋旅行社のスタッフに伝えた。


日本に進出した春秋航空は、日本市場で日本人とサービスで競わねばならない。チケットが安くてもサービスが追いついていなければ日本人は納得しないだろう。だからサービスは春秋航空の日本での発展の運命を決めるものとなると言える。日本でのLCCの競争は熾烈だが、春秋航空は低価格を提供することができ、また大きな航空会社と肩を並べるようなサービスを提供することができる。これまでに積みかさねた評判と、イノベーションにより、春秋航空はこれからも日本の空を飛ぶことができることだろうと王氏は語った。


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