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アラハンの金子兜太さん 【上海の街角で 井上邦久】vol12 (読む時間:約7分半) 2015.10.19


不惑前後の世代をアラフォーと称したことに続いて、アラカンという和英造語が上海でも闊歩しているようです。往年の映画スター嵐勘十郎の愛称のアラカンは知らなくても、around+還暦=アラカン=60歳前後の総経理殿というイメージが浮かんできます。ところが最近になって、健康や長寿を売り物にした雑誌の広告に「アラハン」という文字を見つけました。アラハンの前ではアラカンがずいぶん幼く感じられそうです。

  
言うまでもなくアラハンは、around hundred、100歳前後の元気な方々のお名前が挙がっていました。代表選手は聖路加病院の日野原名誉会長、書道家の篠田桃紅女史でして、ともに100歳越えです。下っ端の辺りに1919年9月23日生まれの俳人、金子兜太さんの名前がありました。因みに、日野原さんの俳句の師匠が金子兜太さんであり、最近では、二人でイジメに悩む小学生の天才的な俳句に着目して、立派な句集に仕上げています。


金子兜太さんの父君の金子元春氏は俳人で医師。1919年当時は東亜同文書院校医として上海に単身赴任しています。第一次大戦後の対華21ヶ条要求、そして五四運動に続く時代の上海に、兜太さんは二歳で父のもとへ転居。四歳まで上海で育つ、と略年譜に書かれています。

 
1943年、東京帝国大学を半年繰上げ卒業。日本銀行に入行。3日で退職して海軍経理学校へ。1944年3月に主計中尉としてトラック等へ赴任。米軍の空爆と栄養失調で多くの仲間を失う一方、尉官に関係のない俳句好き仲間で戦地句会を催していたとのこと。敗戦、捕虜となり、1946年11月に復員。翌年に日本銀行に復職。結婚。1949年頃から組合専従を経験してからは定年まで顕職とは縁のない処遇の転勤を重ねています。その一方で夫婦ともども現代俳句協会賞を受賞するなど俳句の作者、評者、指導者として地歩を築きあげています。

 
以上のことを知り、同じ上海に住んでいたことに驚いたのは、金子兜太『悩むことはない』文春文庫を同人から頂戴してからのことです。句会を苦界に感じ、句作にクサっているのを見かねて同人が『悩むことはない』と励ましてくれたのでしょう。


敗戦間もない神戸で橋閒石先生を中心に連句俳句同人『白燕』が結成されました。数年前、解散した『白燕』の流れを受け継ぐ人たちを中心に、連句・俳句の会『子燕』が結成されました。その中心メンバーが勤務先の先輩というご縁もあり、立ち上げから参加しました。枯れ木も山の賑わいと申しますが、この場合はアラカンでも同人の平均年齢を引き下げる効果がありました。米寿・卒寿記念句集を出された旧海軍潜水艦乗組員、アラ八十で現役薬剤師といった先輩諸兄姉が中核で、こちらは最年少の下っ端として雑巾がけをしてきました。


2009年に上海着任後は月に各一度の連句会、俳句会に出ることが困難となりました。また駐在生活の中で季節感が薄れ、日本語が細り、生活が涸れるような気持ちになりました。その解決策として、先達がメールによる句会や連句(文音)の場を工夫してくれました。今では毎月十数名によるメール俳句会に発展し、歌仙文音の連句も次々に巻かれています。
子燕も先輩同人の指導のお蔭を貰いながら、口ばしだけでなく羽ばたきもしっかりしなければ、と思っています。


花屋までうぶ毛雨なら傘ささず
春近し銀の雨降る上海に


駐在したばかりの頃は、日本に居る同人にも中国への好奇心や上海への憧憬が残っていたせいか、拙句にも甘い点を頂戴していました。そんな頃の拙句です。「うぶ毛雨」とは勝手な造語です。冬の終わり春のはしりに降る嬉しい雨のことを、上海人は「毛毛雨」と親しみを込めて呼びます。日本語にするのは意外に難しく、幾つかの中日辞書に記載された「小糠雨」という訳は少しニュアンスが違うし、霧雨とも違います。まさに上海に降る「毛毛雨」。悩んだ挙句に、東京人形町の老舗刃物屋「うぶげ屋」(うぶ毛もきれいに剃れる刃物が売り)の爪切りを使いながら「うぶ毛雨」という造語に思い至りました。


その後、政治的なストレスが高まった時期には、拙句にもそのストレスが忍び込んでいたことに気付かされます。少々ニヒルで諧謔が過ぎるかも知れません。


黄砂飛ぶ俺のせいではないけれど
日本でも月は丸かと訊く姑娘


アラハンまで雑巾がけを続けられるかどうか不確かですが、連句・俳句の修行を重ね、諸兄姉のご指導をいただきながら句会を浄土のようにできれば幸いです。 (了)

 

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