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『文匯報』そして『日本』 【上海の街角で 井上邦久】vol13 (読む時間:約3分半) 2015.11.09


11月7日、シンガポールにて習先生・馬先生の会談が行われました。蒋介石・毛沢東による最後の会談から幾星霜、歴史に一頁を残すという表現もありました。当事者の自画自賛やその周辺のメディアが持ち上げるのは当然ですが、各地から妙に冷めた反応が届いていて、この課題が単純でないことを知らされます。


その歴史的な一日になるかもしれない11月7日付けの『文匯報』に「一張報紙的抗戦」(一つの新聞の抗戦)と題する張小葉記者の特集記事と1938年2月14日の『文匯報』一面の写真が掲載されていました。『文匯報』は上海を代表する新聞ですが、その揺籃期の経緯を知りませんでした。


1938年1月25日、英国商人のH.M.Cumine(中国音訳名:克明)が発行人兼総主筆となり租界で創刊されています。1937年11月に国民党軍が上海から撤退してから、蘇州河南岸の租界地以外は日本軍が占領。新聞報道管制が強化される中、中文新聞の発行は租界で外国人名義のもとに行うのが唯一の手段だったようです。看板に英人克明守護神を掲げて、実態は中国人ジャーナリストが主導していたようです。


発刊に際して厳宝礼総経理が記者に要求した四条件は、「言論は公正にすべし」「高尚な新聞風格の樹立」「独占的な情報」「独立保持、外からの干渉を無くす」であった由。


1938年2月14日の新聞一面を見るだけでも驚かされます。「中国軍淮河を渡り反抗激烈、北岸の日本軍の形勢危急」というトップ記事から、孔祥煕(財界の首領。宋家三姉妹の長女・宋藹齢の夫君)による軍事の劣勢を財政面で支援する談話、蒋介石の外敵を御して民族の復興を謳う精神訓話、毛沢東の対日抗戦談話「国民党と共産党は当然永久に合作する」などなど。一面を読んだだけで判断するのは軽率ではありますが、近くの安徽省、江蘇省で激烈な戦闘が続く最中に、抗日記事が掲載されていること、国民党の御用記事を掲載して平衡を保ちつつも(蒋介石の精神訓話は4年前のもの)、毛沢東談話や共産党の拠点である延安抗日大学の動向を載せていることに驚きました。租界、英国名義ということで、日本軍からも国民党からも「独立保持」を貫いていたのでしょうか。孤島の灯のような新聞であったかも知れませんが、当時の困難な環境の中で、『文匯報』はよくぞ「公正」な記事を残してくれたものと感心します。


ただ、5万部を超える人気紙となった『文匯報』を獅子身中の虫として厭う勢力からの妨害・懐柔の圧力が徐々に強まり、社屋には爆弾や毒入り果物籠などが届けられます。そして、1939年5月16日に英国総領事から二週間停刊の通知に至ります。更には資金面からの懐柔として、汪精衛主導の南京偽政府(偽満=満州国と同じ「偽」表示)からの克明氏への買収提案と続きます。


5月19日からの停刊は、1945年9月5日の復刊まで続きます。詳しくは創刊当時の記者、鄭重氏の記録『風雨文匯』が出版されており、後輩にあたる張小葉記者はその先輩の自宅でのインタビューに基づいて記事にしています。拙文はその記事からの孫引きです。


『文匯報』の創刊当時の状況を伝える記事を読みながら、この夏に横浜の新聞博物館で開かれた新聞『日本』陸羯南と正岡子規の展示会に連想が飛びました。


この展示への準備協力、講演を務められた高木宏治氏は、老上海であり、現在は北京にて重鎮として悠揚迫らぬ態度でお仕事をされています。一方では、産経新聞幹部から筑波大学教授に転じた青木彰氏の遺訓を忠実に守り、新聞『日本』そして主筆の陸羯南の資料発掘、分析整理,復刻発行をお仲間と粘り強く続けていらっしゃいます。『日本』は伊藤博文政府への批判で停刊処分を何度も受けて資金面での困窮も続く中、正岡子規を採用庇護して短歌・俳句など文芸面の充実を図っています。この冬に陸羯南の故郷、弘前でも展示会が開催されます。


新聞『日本』と陸羯南については、紙幅も理解も足りないので高木さんに更に教わってから改めて触れることにしたいと思います。司馬遼太郎が『ひとびとの跫音』『街道をゆく・三浦半島編、津軽編』に新聞『日本』と主筆の陸羯南について、青木彰氏そして高木宏治氏に繋がる研究系譜の源流が書かれていることをお伝えするに留めます。


それにつけても、『文匯報』は11月7日に何故この記事を載せたのか?
シンガポールでの二人の先生は『文匯報』のこの記事を読んだのか?
大きな関心事です。(了)


inoue13-3


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