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『Astor House Hotel』 【上海の街角で 井上邦久】vol15 (読む時間:約4分) 2016.01.25


榎本泰子さんは1992年から北京大学に留学され、帰国後は日中比較音楽学者としての著作でサントリー学芸賞や島田謹二学芸賞を受賞しています。その榎本泰子さんが2009年に中公新書として上梓した『上海 多国籍都市の百年』に大変お世話になりました。
良き指揮者或いは水先案内人に導かれ、上海という魅力的な楽器を健脚や健筆で奏でた歴史小曲、多国籍協奏曲のような著作です。
2009年の着任前後に上海に関する本をあれこれ読みました。多くの本やガイドブックの中で、堀田善衛氏の『上海』を別格とすれば、榎本泰子さんの『上海』が最も楽しく好奇心を刺激してくれました。この本を手にして一番に訪ねたのが外灘(The Bund)から外白渡橋(Garden Bridge)を渡ってすぐの角、黄浦路1号のレストラン「上海早晨」(Shanghai Morning)そして、黄浦15号の「浦江飯店」(Astor House Hotel)でした。


上海の「文明開化」は波止場近くのホテルから、と言っても過言ではないと感じます。
華夏第一老飯店(The Oldest Hotel in China) と自他ともに称されるこのホテルは、1846年(清・道光26年)に、Astor of Richardという英国商人によって外灘の地に礼査飯店(Richard Hotel)として創建。1857年(清・咸豊7年)に、当時Wales橋と呼ばれた外白渡橋の北側の現在地に移り、英文名のみを「Astor House Hotel」に改称。1907年(光緒33年)に全面拡張。Davies & Thomas建築事務所の設計による鉄筋コンクリートと木造煉瓦折衷の東アジア随一のホテルと称されたとあります。
西方文明の窓口として、中国初の電灯(1882年)、水道(1883年)、電話(1901年)が使用され、半有声映画(1908年)が上映されたのも浦江飯店であったようです。


米国グラント大統領(1879年)、李鴻章(1895年)、バートランド・ラッセル(1920年)、アインシュタイン(1922年)、チャップリン(1931年、1936年)が宿泊。周恩来夫妻は1927年「4.12政変」後に2か月間も浦東飯店で身を潜め、追い詰めた側の国民党の蒋介石夫妻は堂々と宿泊しています。
幕末の長州藩から派遣された高杉晋作が浦江飯店に宿泊したとすれば面白いのですが、中日交流史の泰斗の陳祖恩教授からお聴きしたところ、長州藩士一行は乗ってきた船に宿泊したようだとのことでした。ただ浦江飯店を高杉晋作が眺めた可能性は高いでしょう。
また榎本泰子さんの『上海』には、ホテル併設のレストランの美味に驚いた日本人が、東京で中華レストランを開業し、その名を『銀座アスター』と名付けたという故事が載っています。どちらでも良い事ですが、英語綴りをAsterと異にしたのは、遠慮?ミス?


現在のレストラン『上海早晨』は、高い天井からシャンデリアが飾られ、その数多い電球はいつも全部が輝いています。これは当たり前のことのようですが、豪華に飾ることは得意でも、常に灯りを維持する持続力には欠ける例を見慣れている眼には新鮮です。その持続力は味の持続力にも通じます。穏やかな本幇菜(地元料理、上海料理)は期待を裏切らず、いつもゲストに褒めて貰っています。地元料理としてポテトサラダが出てくるのはご愛嬌。いつぞや夏の終わりに「蟹粉豆腐」を注文しようとしたら、なじみの服務員から、まだ蟹が美味しくないから一か月待ちなさいと助言してもらったことがあります。事ほど左様に、上海最古のレストランは純朴さをサービスにも、味にも、料金にも残していると思います。


昨年末、日本での仕事納めの翌日から上海へ。学生時代の友人との二泊三日の二人旅でした。浦江飯店は我々に2階奥の大きい部屋と6階のコンパクトで明るい部屋を同料金で提供。久しぶりの上海をより楽しく過ごして欲しいと、友人には6階に泊まって貰いました。窓からは蘇州河、外灘そして黄浦江の蛇行の向こうに浦東の高層ビルが一望できました。帰国後に届いた友人の旅日誌には「ホテルの6階の部屋から見た黄浦江の夜景は絶景。まさに独り占め。井上に感謝」とありました。
ちなみに2階奥の廊下の窓は貼り絵がされ、隣のビルの汚れが見えないように配慮されており、大きい部屋には寒さ対策のランニングができるスペースがありました。
それぞれの好みで選べると良いのですが、かなり客が多いせいか?きめ細かい手配が面倒なのか?事前の部屋の選定が難しいので今後の努力が必要です。現状は与えられた部屋を「阿Q式精神勝利法」を活用して、幸運であったと感じられる精神操作が必要なこともあります。


年始早々、上海証券市場は激しい動きを示して世界にもかまびすしく発信されています。その上海証券市場が開設された場所がこの浦江飯店の孔雀庁と呼ばれる大広間でした。1990年12月19日のことです。社会主義国家に証券市場、という実験がどのように成長するのか、当時は色々な観測がなされました。25年前に始まった市場をまだまだ揺籃期とみるのか、発育不全と診断してしまうのか、種々分析がなされることと思います。少なくとも、中国経済が踊り場にある、という見方は正しいでしょう。 孔雀庁はかつて素晴らしいダンスホールでした。 (了)


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