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祝賀受賞 【上海の街角で 井上邦久】vol36 (読む時間:約2分半) 2017.10.14

9月29日、中日国交正常化45周年の記念日に、東華大学教授の陳祖恩先生ご夫妻は日本駐上海総領事館に招かれ、「両国の相互理解及び友好親善に寄与してその貢献顕著」と記された表彰状を受けられました。この表彰を大きな栄誉とされた陳先生からは「中日民間の友好交流に尽力していく」と決意を届けていただきました。


陳祖恩先生は、日中交流史を長年にわたり調査研究され、とりわけ日本の幕末、中国の清末からの交流についての書籍出版も多く、交流史跡の調査や学会活動の為に度々来日されています。また陳夫妻は長年に渡り上海歴史散歩の会の顧問として指導引率をされており、身近でその温かく真っ直ぐなお人柄に接した上海在住者も多いことと思います。
この場を借りて、心よりお祝いを申し上げます。


古北路のご夫妻御贔屓の「紋兵衛」で偶然にお見掛けし、刊行されたばかりの書籍(高綱博文教授著作の中国語訳)をプレゼントしてもらいました。東京での道案内は、「中国人の来ない面白い場所へ行きたい」という陳夫妻の要望に従って、品川神社から旧東海道品川宿を歩き、そば処「いってつ」で喜んでもらいました。11月の大阪案内では福沢諭吉の生家跡などの福島区近辺を歩いたあとで、「まき埜」のスダチ蕎麦を賞味願うつもりです。蕎麦が取り持つ、蕎麦好き同士のご縁もあり、長いお付き合いと言いますか、蕎麦味噌のように味わい深く実の籠った交流を続けさせていただけたら幸いだと思います。そして、まさに受賞後の陳先生のお言葉の通り「民間交流」に力を尽くしたいものです。


この時期に「受賞」と言えば、ノーベル賞であります。今年の日本では文学賞の話題が中心となり、情報の洪水状態ですが敢えて若干の屋上屋を重ねさせてもらいます。カズオ・イシグロは長崎生まれの英国人であり、英国人にしか書けないであろう小説『日の名残り』の描写が、アンソニー・ホプキンス主演での映画化の成功とも相まって強く印象に残っています。英国伝統の執事という控えめな職務、その分に徹した、そして分を越ええない男の「思い込み」の強さがほろ苦い味となっていました。


しかし本欄では『私たちが孤児だったころ』に触れねばなりません。長崎・上海・英国を繋いで、アヘン戦争から上海事変を歴史背景とした長編です。和平賓館北楼でダンスに興じた欧米人が、虹口の方面で交差する日本軍と国民党軍の曳光弾を「見物」する理不尽なシーンをうろ覚えしています。


10月12日付けの朝日新聞に、下司佳代子記者によるノリッジ発の「イシグロ文学、母校で語る」と題する記事が掲載されています。


・・・2000年出版の小説「わたしたちが孤児だったころ」では例外的に、1930年代の上海という舞台設定を先に決めたことも明かした。日本人の祖父が上海で豊田紡織廠(当時)の立ち上げを担ったため「祖父の当時の写真を見てこの時期の中国にとても興味を持った」と説明した。・・・


祖父の石黒昌明は東亜同文書院の第5期生(1908年卒業)、伊藤忠商事から豊田紡織廠取締役。父の鎮雄は1920年上海生まれ、明治専門学校(現在の九州工業大学)に電気工学を学んだのちに海洋学者として英国へ。母の静子は長崎にて原爆により負傷。以上、長崎・上海との絡みを補足します。


(了)


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