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上海野球の草の根 【上海の街角で 井上邦久】vol5 (読む時間:約3分半) 2015.03.17


去年の2月に台湾で封切られ空前のヒットを記録した『KANO』が、今年の1月最終週から日本でも劇場公開されました。1931年夏の甲子園、全国中等学校野球大会に、台湾代表の無名チーム嘉義農林が決勝まで進むまでを描いた映画です。近藤兵太郎監督(松山商業OB)の指導の下、漢族・原住民(当時は高砂族と呼称)・日本人がそれぞれの特性を活かしながら成長するストーリーに並行して、八田與一の指揮による「嘉南大圳」大治水工事(1930年)のエピソードも挟まれます。更には霧社事件(1930~1931年)そして柳条湖事件(1931年9月;満洲事変)の時代の空気が遠景に重なります。


先月寸描した尾崎秀実も朝日新聞上海支局で自社が主催する大会経過を逸早く知っていたかもしれません。尾崎秀実も台湾育ちです。戦前の大連や青島で実業団や中等野球が盛んであったことは清岡卓行の小説などで知られていますが、上海での野球事情がどうだったかは詳らかではありません。戦後になって、文化大革命が始まる前の上海では野球・ソフトボールが盛んで、大学や高校に50チーム近くあったとのことです(朝日新聞1997年6月26日付け。清水勝彦氏の記事)。しかしその後、上海では野球の草の根は絶えようとしていたようです。(個人的な体験ですが、1988年ゴルバチョフのソ連時代、モスクワ大学野球場の新設記念試合に出くわしたことがあります。日本からの東海大学とともに天津体育学院が招かれていました。ルール解説の場内放送付きのゲームで、ホームインのことをロシア語で「ダモイ」と言っていたのを聞き取れたことと天津のエースが東海大学相手に好投していたのを思い出します)


大分県立宇佐高校出身の水江孝一さんが復旦大学に留学したのは1996年、日本球界への退路を断って大リーグの門を叩いた野茂英雄投手がドジャーズで注目された時期に重なります。上海の野球に興味を持つ学生達がコーチを探している事を知った留学生のS氏が、野茂ロゴのTシャツでキャンパスを歩いていた水江さんに声を掛けたのが野球部創設のキッカケと聞いています。野球好きのお父さんとキャッチボールをした想い出を何よりも大切にしている水江さんは、甲子園を目指す高校球児として流した汗を、復旦大学硬式野球部の為に流すことを決意しました。基本の基本を手ずから教える、更には復旦大学以外の大学まで野球を教えに回る水江さんについて、当時の学内新聞やスポーツ系記事に取り上げられたスクラップを見せてもらいました。スクラップには留学生仲間が色んな形で力を尽くしている様子が伺えます。


記者たちは共通して水江さんの姿勢を「認真」「謹厳」「可愛」「黙黙」と表現しています。ある新聞には「バット1本とボール5個」、別の記事には「グローブふたつとボール3個」からのスタートとあり、九州に戻って母校などから掻き集めた野球用具100kg分をお父さんと二人で背負って上海に持ち帰ったことが美談として採り上げられています。数年後、各方面の支援協力も得て、上海外国語大学、同済大学、東華大学、上海財経大学、上海師範大学、上海応用技術学院そして日本留学生チームなどで大学リーグが開催されるようになりました。


復旦大学が上海リーグで優勝した時、選手たちが水江さんの前に整列して「教練! 謝謝你!!」と声を揃えたというエピソードは、『KANO』 の中で準優勝が決まった直後「先生!ありがとうございます。もう泣いてもいいですか」と選手達に問われ、近藤監督が泣き声で「グランドでは泣くな!」と応えるシーンを彷彿とさせました。水江さんは今また上海で駐在生活を送っています。「私は野球が好きだから、熱情と楽しみを同級生たちと分かち合いたかっただけです」という、フラットな視線と姿勢は変わりません。ビジネスの世界でも黙黙と厳しい仕事に立ち向かっています。


記事には残らない多くの留学生や企業駐在員の人たち草の根の努力が今も続いていることでしょう。聞くところでは、現在上海には15チームがあり、野球人口がじわりと増えているようです。今年も上海大学リーグが3月末から始まるようです。虹口の上海外国語大学のグランドへ水江さんやSさんと一緒に観戦に行きたいと思っています。   (了)


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