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梅蘭芳 【上海の街角で 井上邦久】vol27 (読む時間:約4分) 2017.01.22


春節を目前にした横浜の中華街、関帝廟ちかくの横浜中華学院から聞こえてくる太鼓の音にも熱が帯びて来ました。一方、横浜山手中華学校では、徐夕の日に新潮戯院による京劇ワークショップが開催される予定です。寒気のなか、月は細くなり、紅い灯籠も鮮やかさを増して、春節の到来を感じさせます。


昨年、東京の成城ホールで、石山雄太さんらの新潮戯院による京劇を観る機会がありました。北京では長安戯院などの大劇場に通い、上海では福州路の庶民的な天蟾逸夫舞台で聴いて以来の京劇であり、しかも舞台近くの良い席でしたので久しぶりに堪能しました。


石山雄太さんについては、よく知られている通り、中国戯曲学院附属中学校から留学し、同大学を卒業後に外国人として初めて中国国家京劇院に所属を認められ、日本・中国で地道な活動を続けて居られます。


京劇を海外で初めて公演したのは、梅蘭芳の率いる劇団であり、1919年の日本に於いてでした。二回目の来日公演は1923年で、関東大震災慰問のチャリティ興業であったとのことで梅蘭芳に関する美談も残っています。戦後日本での初の京劇上演は1956年で、やはり梅蘭芳一行でした。その折の録画をNHKで見たおぼろげな記憶があります。日本の歌舞伎の近代化を京劇改革に採り入れ、絶世の女形、そして『親日家』として日本人の間でも絶大な声価が高く、好感を持たれていたようです。


梅蘭芳については多く語られ、京劇の進化発展に貢献し(二胡の導入など)、欧米でも爆発的な人気を博したことは広く知られています。ここでは、冗語を避けて、林語堂による梅蘭芳への簡潔無比な賛辞を記すことに留めます。


  他是造物主精妙無比傑作
  He is a wonderful masterpiece of the Creator.


かれこれ5年以上前、日本からの友人夫婦とともに北京の下町、和平門近くをぶらついて居た時に、しもた屋風の店がポツンポツンとあるだけの人通りの少ない路に紛れ込み(あとから確認すると、前門河沿街でした)、背の高い壁が続くなかで、ある家の古い門が開かれ、客寄せ人が出て来ました。取り立てて此れといった目的はないけど、好奇心はある我々三人は、このような朽ち落ちた街路の壁の中に劇場があるのか?と訝りながら木戸銭を払って入ると、中はかなり奥深く、整然とした内庭に続く劇場は清潔な作りでした。この偶然が、数百年の歴史を持ち、梅蘭芳の祖父から続く劇団の常打ち場であった「正乙祠戯楼」との遭遇でした。改造改装されて日も浅そうな劇場で、梅蘭芳の息子である梅葆玖が総監する「梅派」の名作のダイジェスト上演を待ちました。


梅蘭芳が創作し、練り上げた「覇王別姫」や「貴妃酔酒」ではなく、おどろおどろしい武人が出てくる「抗金兵」から始まりました。


「抗金兵」は1933年に上海で初演。金による宋への侵略が続く中、長江防衛線の潤州(鎮江)の守将である韓世忠とその夫人梁紅玉が金兵を追い返した歴史故事に題材をとった作品です。金兵を迎撃せんと金山江上に布陣した味方を鼓舞する為に、梁紅玉が自ら太鼓を鳴らした場面が見所のようです。


九一八事変のあと、梅派京劇の故地である北京を捨てて、梅蘭芳は1932年に一家を挙げて上海に移住しています。そこで「抗金兵」を創作して、自ら将軍夫人の梁紅玉を演じています。女性ながらも勇猛果敢に、敵に抗する女大将として唱念・撃鼓・武打など京劇技法を駆使して演じきり、上海天蟾舞台の満場の観客は梅蘭芳の抗戦戯劇に割れんばかりの拍手を送ったとのこと。


その後、1941年に役者生活に終止符を打ち、香港・上海で遁世しています。その間、どんな懇請や圧力があっても舞台に立たず、女形役者を廃業する意思表示として髭を生やしたとも言われています。髭面の梅蘭芳の写真は未だ見る機会がありませんが、稀代の女形が髭を蓄えたことの重み、その抵抗姿勢に、戦前戦後の日本人が安易に「親日派」と思い込んだ梅蘭芳の骨の太さや硬さを感じます。戦争終結後の1945年10月には舞台復帰しています。


横浜中華街に本店を置く『梅蘭』で名物の焼きそばを食べた後、中国人マダムに、店名の由来として梅蘭芳とご縁があるのか?と軽口を叩きました。しかし残念ながら中年のマダムは、梅蘭芳その人をご存知なかったので話が続きませんでした。55年前に亡くなった京劇役者のことを、春節の太鼓を聴いて思い出す酔狂な日本人客の方が普通ではないと自重自戒しました。


ただこれからも「抗金兵」が舞台に掛かることがあるでしょう。(但し、頻繁に上演されないことを祈りますが)歴史教育が強化されるという昨今の政策下で、若い上海人が「抗金兵」に抗日意識を募らせ、割れんばかりの拍手を送るかどうか?福州路方面へ行かれる折に舞台を覗いてみてはどうでしょう。(了)


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