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日中の交流 【上海の街角で 井上邦久】vol32 (読む時間:約5分半) 2017.07.06

神奈川大学での学会出席のため、上海から横浜に来られた珈琲好きの先生と休日の午前をご一緒しました。ホテルからほど近い陋居にお越しいただき、濃い目の珈琲を淹れてから、忌憚なく色々な話の花を咲かせました。


まず、前回3月末の来日土産に頂いた『顔梅華 口述歴史』(上海書店出版社)の御礼と読後感から今回の交流が始まりました。上海市文史研究館口述歴史叢書のシリーズで、著名な国画家というよりも、戦前の「連環画」の売れっ子といった方が通りの良い顔梅華さんが語る自分史を、先生が聴き取り原稿に仕上げた一冊です。顔氏に限らず、口述歴史の難しさは、どうしても主観的な側面が滲み出てくる点ではないか?という点を指摘しました。功成り名を遂げた大家の隠された部分の扱い、有体に言えば、現状に満足されている高名な老人たちにとって、触れて欲しくない側面裏面があっても、それを抉る事を期待するのは難しいでしょうね、という率直な感想を伝えました。ご本人の口述でなければ知りえない事例や人物評などはとても貴重であり、それを丁寧に聞き書きされた労作であることを十二分に理解した上で、書生論を口にさせてもらいました。「ただ、それだけではない」という点を意識しながら口述歴史を読みつつ、第三者が書いた別角度からの評伝等にも触れる姿勢が大切であろうと理解しました。蒋介石の何番目かの夫人、蒋介石が宋美齢と結婚するために正妻の座を失い米国留学に追いやられた陳潔如女史が口述したと言われる記録があります。様々な事情で長く公刊されなかった時期を経て,1992年にようやく台湾で出版された『陳潔如回想録』の例を挙げるまでもなく自叙伝の読み方は難しいものです。


次に今年2月に勉誠出版から出された『戦時上海のグレーゾーン 溶融する「抵抗」と「協力」』堀井弘一郎・木田隆文(編)が話題になりました。21名の研究者が夫々の専門分野における上海のグレーゾーンについて健筆を振っています。序言で堀井氏は、1937年から1945年の戦時下の上海に於いて、日本軍側の「支配」と中国側の「被支配」があり、被支配側の内部にも「協力」と「抵抗」の異なる立ち位置があり、それもまた一枚岩ではなかったという「グレーゾーン」の定義をしています。関智英氏による「汪兆銘政権の人々」の複雑に絡んだ各グループへの精緻な分析、上井真氏の「劉鴻生の戦時事業展開」では、民族資本家が如何にして人と財の継承に腐心したかの考察、武田泰淳「上海の蛍」を手掛かりにして「中日文化協会上海分会と戦時上海の翻訳事業」について丹念に再確認された木田隆文氏の文章など、それぞれが一冊の本になりうるようなテーマがダイジェストされていました。長い間、赤か白か、紅か青かと二極分化して捉えてきた古い認識の蒙を啓いて貰えました。「政治・経済」、「社会・文化」。「言論・メディア」の三章に仕分けされていますが、239頁という限られた紙幅のなかに、広範なテーマを盛り込むにはかなりの力技が必要だったことでしょう。下世話な表現で恐縮ながら、大阪でのたとえ方で言えば、「てんこ盛りのかやくご飯」をオニギリにしたような印象が少し残りました、と先生に伝えた時、その温顔はそのままに、眼光が鋭くなった気がしました。そして交流とは、同じ平面で対等の立場で行われるのが本来の望ましい形でありながら、この書籍の各文章が研究対象とした時代は一方からの「直流」が大きな電位差で迸る中での「協力」であり「抵抗」であったという域まで想像力を逞しくすべきだと思い至りました。


先生が上海に戻られた後に、2017年6月25日初版発行と奥付にある『上海の日本人街・虹口 もう一つの長崎』という賑やかな表装の本を偶然見つけました。著者は長崎県立シーボルト大学で教鞭を執り、「新長崎市史」の編纂に参画された横山宏章北九州大学名誉教授でした。長崎と上海を結びつける事例は多くありますが、この本は虹口をもう一つの長崎に位置付けることが主題の様でした。非常に多くの文献や資料を渉猟され、それを丹念に整理されていると感じました。巻末注の項には、珈琲好きの先生による日中交流史の著作からの引用が何回も出てきました。この本文中に、二人の中国人研究者の名前が記されています。一人は「劉建輝は、日本における【魔都】という言葉の使われ方に批判的である」(25頁)、もう一人は「上海における日本人街研究の第一人者である陳祖恩は、長崎人の活躍を次のように結論付けている」(55頁)という紹介に留めています。


京都の国際日本文化研究センター(日文研)は今年創設30周年を迎え、磯田道史、呉座勇一ら気鋭の研究者の参画もあって活性化しているとの話を聴きます。6月13日に開催された第311回日文研フォーラム「筆談で見る明治前期の中日文化交流」(発表者:劉雨珍南開大学教授。日文研研究員)のコメンテーターとして登場した、日文研副所長の劉建輝氏はペリー来航時に翻訳官として随行した羅森から始まる日中交流について卓見を淡々と述べながら、一筋縄ではない各時代の日中間の交流の裏面や弱点を抉られていました。


劉建輝『増補 魔都上海 日本知識人の「近代」体験』(ちくま学芸文庫)は、2000年にこの本が出された時、上海研究に一つの新しい風が吹いてきたと感じた(海野弘)と評された著作です。


…上海は一九二〇年代にある日本人の「不良」作家によって「魔都」という異名を得た。以後この名は上海というさまざまな「顔」が錯綜する空間をよく表す言葉として、ほとんど陳腐になるまでさまざまな人に引用されてきた。そしてその喚起されたイメージはしばしば上海と関係した人びと、とりわけ日本人の心象風景の一つにさえなったといえる。…上海がはじめてその「魔性」を現出したのは、けっして二十世紀に入ってからではなく、その起源はむしろ遠く十九世紀の七〇年代にまでさかのぼる。…(劉建輝 前掲書165頁)


上記の横山氏も一部を引用している「魔都」の曖昧なイメージを鋭く劉氏が抉った文章です。


此処では「魔都」よりも印象に残った、未来に向けての劉氏のメッセージを引用します。…上海、また上海人自身も「過去」と「未来」の間を揺れ続けているが、すでに五万人を超える長期滞在者を擁する日本、また日本人が、「過去」を背負いながらも「未来」へ向けて、いよいよ新たな「伝説」を作り出さなければならない時期に差し掛かっていると言えよう。その作業こそが、いま一度有意義な「他者」として上海と相対するきっかけとなっていくに違いない。…(前掲書292頁)


珈琲好きの上海の先生からの教えを踏まえて、「他者」として対する時、初めてフラットな交流が始まる、という基本姿勢に立ち返りたいと思います。


(了)


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