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蘇州に残る「日本国領事館」跡 【蘇州たより 工藤和直】Vol1 (読む時間:約2分) 2014.08.04

 現在中国には、北京大使館の他に香港・広州・上海・重慶・瀋陽・青島に総領事館がある(大連は出張事務所)。戦前には、天津・漢口(武漢)・奉天・上海・重慶・ハルビン・杭州・蘇州にあった。のちに総理大臣となる吉田茂は、入省後20年間中国勤務で、天津・奉天総領事の経験があった。


蘇州城内南の人民橋を越えた南門路南に、ヨーロッパ建築様式の蘇州領事館を1902年竣工し、上海領事館の分館とした。当時はまだ鉄道がなく、蘇州に行くには、上海市外灘北の蘇州河から船で行くしかなかった。当時中国で一番の工業は、製糸絹織物業である。当時財閥の一つであった片倉製糸(現在の片倉工業)は明・清時代から繭の市場に成長している蘇州に目をつけ、領事館付近に瑞豊繭行という製糸工場建設に着手した。今は、蘇州金葉糸服有限公司敷地内である。そこはシルク製品を扱うショッピング施設にもなっているが、その施設に隣接して「日本国領事館」跡がある。日本人が作ったとすぐ分かる石造り3階建てである。上海外灘の石造り建築物と規模で負けるが、非常に立派なヨーロッパ風洋館である。特徴は、東方向を向いて玄関がある。東京を意識したのだ。


 蘇州市文化財であることも表示されていた。玄関扉を開けて入った、室内には金葉の職員が常駐し、全部を見ることは許可されなかった。各部屋には暖炉があり、ここで領事館業務をしていた事がすぐ理解できた。中央部に吹き曝しの階段があり2階以上に行くことができた。総領事公室は突き当たりの 20畳程度の広さである。部屋から外に通じるベランダを歩くと、周囲の木々に包まれ最良の環境である。


 領事館跡から見て北東部、ちょうど南門路に接する付近に小学校跡地がある。ここがかつて「蘇州尋常高等小学校」跡地ではないかと思われる。22名の生徒が居たと記録されている。また、1920年代当時の在留邦人数は78名と記録されている。 写真は昨年11月に在上海日本国総領事館小原総領事ご夫妻と訪問した時のものである。



 今年4月に群馬県の富岡製糸場が世界文化遺産に登録された。この富岡製糸場は明治5年官営工場として操業開始、1939年片倉製糸(現片倉工業)により吸収合併、戦後も日本の復興に大きな貢献を挙げ、1987年に110年に渡る歴史に終止符を打った。その後、片倉工業は毎年1億円の維持費をつぎ込み、その甲斐もありこの度の世界遺産となった。歴史を後世に残したい言う意気込みがあってと賞賛したい。また、製糸場内に学園を作り、良妻賢母教育も施したと記録がある。この片倉工業(製糸)こそ、百年前ここ蘇州に進出、貢献した我々日系企業の大先輩になろう。

 

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