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蘇州にあった大丸百貨店、大連にあった三越百貨店 【蘇州たより 工藤和直】vol.2 (読む時間:約2分) 2014.11.10

 我が国の百貨店海外進出は、1899年(明治22年)2月に高島屋がフランスリヨンに販売事務所を開設した事から始まる。では小売目的で海外に出店進出を始めたのは1906年10月、三越が京城(ソウル)に進出したのが最初である。明治末期から海外進出を積極的に展開したのは、三越・高島屋・大丸・松坂屋・そごう・白木屋の6社であった。


 現在蘇州市にある外資系大型百貨店(店舗)と言えば、2008年園区に出来た「久光百貨店」、2011年新区に出来た「イズミヤ」、そして2013年になって「イオン」が上げられる。蘇州城内の中心地に観前街と言う日本の銀座・上海の南京路の小型版と言えるショッピング街がある。終日歩行者天国でもあり、中心には玄妙観と言う大寺院がある。その前の宮巷をしばらく行くと、「人民商場」と言う建物に出くわす。この建物が戦前に進出した「大丸:大丸洋行」である。写真は大丸跡地になる人民商場ビルの戦後間もない頃の建屋である。現在は今風の建物になっているが、その骨格はそのままである。1938年3月に商工省は「大陸百貨店進出要請」を発令する。その地域への物資の流通を百貨店に担当させたのである。三越の記録にも「満鉄の理事から、社員諸氏へ日用品を廉価で供給せさしむべく、早急なる大連出店要請があり」とある。


 大丸は当初、華北地域を調査した。最終的には1938年に南京に雑貨食料店を開設した。その翌年の1939年に上海文路店に引き続き大丸蘇州店(百貨店)を開業、2300坪の売り場面積は当時とすれば、三越大連店と同規模であった。その後1940年に天津(400坪)、1943年にはシンガポール店(3000坪)を開業した。商工省としては、各社に担当地域を分担させた。白木屋は杭州、高島屋は南京、松坂屋は蕪湖、そして蘇州は大丸が分担となった。


 1906年、三越は京城(ソウル)に日本初の海外展開を行い、翌年には大連にも出店した(1907年)。この大連三越は今でも市内中山路に「秋林女店」としてピンク色にはなったが建屋はそのまま使われている。大連は日本の建築物が多い。満鉄経営の大和ホテル(現大連賓館)などは今でも現役である。同じく京城(ソウル)三越は戦後「新世界百貨店」本店として現在も運営されている。


 戦後、多くの百貨店が海外展開を成功させるが、戦前経験した海外進出ノウハウが有効に作用した結果と言えよう。また、その根源には海外経験駐在者と言う「人」が多く居たからである。事業の根幹は「人」であるとことを再度思い知った次第である。


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