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上海と蘇州を結ぶ蘇州河(呉淞江)  【蘇州たより 工藤和直】vol.3 (読む時間:約2分半) 2014.11.18

そもそも太湖は海であった。第四氷河期、無錫から蘇州にかけては大湿地帯で、その海洋の部分に長期間にわたり長江が運ぶ土砂が蓄積、海を遮断して淡水湖になった。6000年前、海岸線は今の昆山と上海嘉定の中間付近であり、唐の時代になって現在の呉淞江(蘇州河)と黄浦河の合流地点が海岸線となった。上海は極めて最近になって長江が作った都市である。


唐代は華亭県の一部だったが、蘇州河の南に上海浦という村ができ、宋代に上海鎮とよばれた。これに対し黄浦江下流の現虹口区あたりには下海廟も存在した。1292年に上海県となったが、それ以前は江蘇省に属した。潮が引くと陸地が現れ、潮が満ちると陸地が消える、海の上になったり下になったりするので、上海と呼んだ。16世紀半ば倭寇の侵略から守るために、豫園のまわりに丸い上海城を作った。その城跡が現在の人民路と中華路の丸い道路である。
1842年の南京条約により、上海は条約港として開港した。これを契機として、イギリスやフランスなどの租界が形成され、後に日本やアメリカも従った。1865年に香港上海銀行が設立され、欧米の金融機関が本格的に上海進出を推進した。1871年には、香港と上海を結ぶ海底通信ケーブルが開通し、日本の長崎にも延伸された。1873年には、日本の岩倉使節団が上海の市内見学をしており、当時の上海の様子を「米欧回覧実記」に記している。


上海の原住民は、松江あたりに居住していた。1840年のアヘン戦争以後経済発展する上海へ、蘇州近隣の地方から次々に移民が入ってきた。現在の上海人の8割以上は、北の江蘇省と南の浙江省からの移民(もしくは難民)である。特に長江南部と浙江省北部の江南地方出身者が上海人の半分以上を占める。これが上海の文化にも大きな影響を与えている。上海語は寧波語、蘇州語と上海本地語の混血である。


商売に長けた蘇州人と政治に敏感な浙江人が近代上海の歴史を作ってきた。清の末期、太平天国など一連の革命運動や商売のため、広東省からの移民もやってきた。広東人は運輸、デパート経営などに関わった。これらが融合して商売上手で政治批判大好きの上海人が出来たのである。そして、アヘン戦争と太平天国の乱によって疲弊した蘇州は、明時代世界一の人口と繁栄を築いたが、その地位を上海に譲る事となった。


上海市中心地区を流れる「呉淞江(蘇州河)」で浚渫工事が終了したのを受けて遊覧船が復活した。この河こそが交通不便な時代、蘇州⇔上海の水上交通路として使われた水路である。この河の先に蘇州があった。蘇州・無錫・常州・鎮江への交通路として一番利用したのが、この蘇州河であった。最も早く蘇州⇔上海間航路を開業したのは大東汽船㈱である。従来の船では4~5日を要した蘇州⇔蘇州間を小型動力汽船によって昼夜1日で運行、瞬く間に運輸業の雄と呼ばれる存在になった。蘇州城南東の端から南に下ると宝帯橋がある。中国に現存する一番長い石造橋であり創建は唐時代に遡る。上海から蘇州河を西に行き、蘇州に入る場所に存在する。宝帯橋を南下すれば杭州に至る。


1908年、上海から蘇州・南京への鉄道網が敷設され、蘇州河の役目は終えた。自動車の時代となった今では花鳥風月穏やかな風情だけが、昆山から蘇州にかけて見られるようになった。


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