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谷崎潤一郎と芥川龍之介の上海・蘇州放浪記  【蘇州たより 工藤和直】vol.4 (読む時間:約2分半) 2014.11.27

私が初めて蘇州に行こうと思って読んだのが司馬遼太郎の街道を行く<江南の道>であった。今でこそ旅行本は多く、世界中どこに行くにも不自由はない。では100年前はどうだったのであろうか?その旅行本の先駆けになったのが、谷崎潤一郎「蘇州紀行」であり芥川龍之介「江南遊記」であった。ちょうど南満州鉄道も完成し、上海⇔北京間も開通した1910年頃になると、ちょっと大陸に行こうかと言う日本人が多く見られた。


谷崎は1918年(大正7年)、朝鮮半島に渡り満州から北京そして南下して漢口・南京・蘇州・上海と移動している。芥川は谷崎に遅れること3年、1921年(大正10年)3月に上海に上陸、谷崎とはまったく反対のコースである。芥川の文章には至る所に谷崎を意識した文が出てくるが、「まるで仇への礼賛」と思われんばかり対照的である。


谷崎は1918年(大正7年)11月22日午前に南京を発ち、蘇州城外北に位置する蘇州停車場に着いた。駅からは外堀沿いに南下、盤門から南門(人民路)南にある租界地の旅館までの約6kmを馬車で移動。盤門の西を行く時「左手の濠の方を見ると長い城壁がそのまま殷賑な蘇州市街を包んで居ようと思へないほどの穏やかに、まるで牢屋の堀のように静かに続いて、その向こうにはたった一つ、灰色の高い塔(瑞光寺)が聳えているだけであった」と蘇州紀行に書いてある。租界地には日本人経営の工場や商店、旅館があり谷崎も芥川もこの中の日本旅館に宿泊した。


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谷崎は朝鮮・満州には興味を示さず、南京・蘇州・上海が気に入ったようだ。蘇州紀行の中では「私は天平山(蘇州の西郊外)の紅葉なんかどうでも良い、むしろ道中の運河の景色が良い」と書いている。そして翌日には運河(蘇州城の外堀)巡に興じている。その翌日、驢馬に乗って盤門南の呉門橋を通り蘇州城内見物をしている。上海では新劇を観たり、大世界で人形芝居を観たり、まずい西洋料理を食したりしている。


芥川は大正8年に大阪毎日新聞に入社、翌々10年に海外特派員として中国への旅に出た。3月30日には上海に入港するが、乾性肋膜炎で3週間「里見病院」に入院。病み上がりの取材(新聞社員)のためか、彼の中国評価は極めて低い。「街の不潔」「乞食」「売春婦」など、「上海は何かと騒がしく、人間もソワソワして実に忙しい。蘇州や杭州・南京・漢口も見ましたが、良かったのは北京王府と蘇州の景でした」とかある。


蘇州の景について唯一あるのは、蘇州停車場から南に1kmの北塔寺の上から眺めた状況を「黒い瓦屋根の間に鮮やかな白壁を組み込んだ町並みが、思ったより広々と広がっている。その向こうに霞を帯びた高い塔があると思ったら、それは孫権が建てたとか云う名高い瑞光寺の古塔であった」とだけ記述している。


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谷崎は中国の景色の中に「日本」を探そうとしたのに対し、芥川は常に「人」を見て、中国の風景より、市井の中の庶民の生活を見た感が強い。中国の「不潔」を言う背景には西洋列強の植民地主義を厳しく非難する芥川の「怒り」が感じられる。結論として、谷崎は「ロマンチック」であり、芥川は「リアリズム」であったと言う事であろう。


参考文献
*蘇州紀行(谷崎潤一郎)中央公論
*江南遊記(芥川龍之介)岩波書店

 

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