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杭州に残る「日本国領事館」跡を訪ねて 【蘇州たより 工藤和直】vol.9 (読む時間:約2分) 2015.01.12


浙江省の省都杭州市の西に広がる「西湖」はそもそも海であった。2200年前、秦の始皇帝が「銭唐に至り浙江を臨む」との記述が史記にある。これが文献上初めて出た西湖の記載である。当時はまだ淡水化していない干潟であった。その後、漢時代になると銭唐河が運ぶ土砂によって堰き止められ淡水化し、唐時代には「西湖」と言われるようになった。西湖の名称が固定化されたのは宋時代になってからである。歴史的にはまだ極めて新しい湖である。2011年6月に世界文化遺産となった事を契機に、多くの観光客が訪れる名所旧跡になっている。


西湖の北に突き出すように白堤がある。その入口「断橋」の端、北山路と保俶路が交差する小高い丘の上に古めかしい2階建ての洋館がある。ここが明治末に建てられた旧杭州日本国領事館である(写真)。


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西湖の周囲に繋がる北山路には観光客があふれているが、一つ北になる街路には人影もまばらである。入口門壁に旧日本領事館跡の表示が小さくあるが、一般の民家でもありなかなか入り難いが、思い切って入ることにした。建物の正面が玄関になっており、左の壁に領事館跡の名盤が掛けられていた。蘇州にある旧領事館に比べればひと回り小さいが、外観が古い西洋建築であることから日本国領事館であると分かる。残念ながら一般人が中に住み、前面は洗濯物が干され、生活色豊かな住居となっている。


中国にある租界地として上海が挙げられるが、1863年に英米共同租界地として発足している。日本人租界地は、1895年の下関条約によって杭州・蘇州・重慶・沙市(湖北省)に新たに設置された。その他は天津・漢口(武漢)・福州・アモイがある。そしてそれぞれに日本国領事館が置かれた(沙市は途中で建設中止)。


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(※画像をクリックすると大きな画像を見ることができます)


この領事館跡から北へ5kmほど行くと、京杭大運河に跨る「拱宸橋」がある。この周囲に租界地があった。当時の様子を垣間見る事が出来るのは「杭州市第二人民病院内」にある「公共通商場:海関」の洋館程度である。「拱宸橋」は高さ16m、長さ92mの杭州で一番高く・長いアーチ式石橋である。創建は明代末1631年、その後清代1721年に重建され、京杭大運河終点のシンボルとなっている。「拱」は歓迎の意味であり、「宸」は帝王が住む宮殿という意味がある。昔から皇帝を迎える場所であり、杭州の北玄関であったことが推察される。清朝時代、康煕帝が5回、その孫の乾隆帝は6回、江蘇・浙江を南巡している。


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参考資料:蘇州に残る「日本国領事館」跡(蘇州たよりVol.1)

 

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