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昆山の思想家「顧炎武」 【蘇州たより 工藤和直】vol.11 (読む時間:約2分) 2015.01.23


保天下者、匹夫之賤、與有責焉耳矣
「天下を保つ者は、匹夫の賤、よって責め有るのみ 」


「天下興亡、匹夫有責」これは中国の有名な故事成語である。天下の興亡と言えど、匹夫にも責あり。意味は、「たとえ政治に関わっていなくても、国民一人一人が国家の栄枯盛衰に責任がある」というものだ。この言葉は、中国歴史上有名な学者であり義士である「顧炎武」が残したものだ。


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顧炎武(Gu Yan-wu 1613~82年)は蘇州昆山千灯の出身で、明末・清初の学者。名は絳(こう)、字は忠清。明の滅亡後、名を炎武、字を寧人に改めた。昆山は上海と蘇州の中間にあり、多くの日系・台湾系企業が進出している。顧炎武は先祖代々明朝の役人であり、彼の代になって、清兵が長江を渡り大挙して江南に侵攻してきたため、昆山地域住民と共に立ち向かったと言う。32歳の時に明が滅び、南京に擁立された小朝廷とともに蘇州に従軍する。翌1645年(順治2)、清軍は南京に入城し昆山も落城して,養母の王氏は二姓に仕えるなと遺言して死ぬ。


清は建国後、優秀な人材を求めて顧炎武を何度となく役人として迎えようとしたが、顧炎武は「たとえ史書の編纂を頼まれても断る」と激しい口調で拒否した。清朝考証学の開祖として知られるが,あくまでも明の遺民として生きぬき,異民族王朝の清には終生仕えなかった。「天下を保つのは、賤(いや)しい匹夫(我ら一般国民)にも責任がある」とのことばは、清末の変法派(注)にも現代日本でも同じく愛唱された。


日中韓の外交問題にしろ、憲法問題にしろ、自国が向かう方角に対し知らないと言う態度を持つ国民にならない事が大事である。後世の日本人から「この国の衰退は、平成時代の日本国国民のなさぬなさ」と言われないように、国民全員が政治意識を持つことが肝要となる。「ならぬことはならぬ」である。「天下を保つのは、賤しい匹夫にも責任がある」、偉大な思想家がここ蘇州昆山に居た。


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(注)戊戌の変法(ぼじゅつのへんぽう)とは、清朝光緒24年(1898年、戊戌の年)の4月23日(太陽暦6月11日)から8月6日(9月21日)にかけて、光緒帝の全面的な支持の下、若い士大夫層である康有為・梁啓超・譚嗣同らの変法派によって行われた政治改革運動をいう。

 

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