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隣の今井美樹ちゃんと高鍋東小学校 【蘇州たより 工藤和直】vol.12 (読む時間:約3分半) 2015.01.29

五万石の小藩なれど「日向秋月に馬鹿殿は居らず」。「秋月家譜」によれば、日向高鍋秋月氏は大蔵氏を遠祖とし、大蔵氏は後漢滅亡時、献帝の孫の阿智王が日本に亡命し帰化したものの後裔といわれ、阿智王の子孫が大和朝廷の官物を納めた蔵(大蔵)の吏となり、その功によって大蔵姓を授けられ、大蔵姓を称するようになった。平安時代、桓武天皇によって征夷大将軍として任命された坂上田村麻呂がいるが、坂上氏も同じく大蔵一族である。秋月氏は、先祖を中国人とする一族である。

 

五世紀の史書「梁書倭人伝」には、倭人は太白(周王朝末期に江南呉に下った皇族泰伯)を先祖とすると記載されている。これが正しいとすれば、天皇家を含む日本民族には中国人の血が多く流れていることになる。尚、泰伯廟は蘇州城西北、閶門付近にある。

 

高鍋藩第七代藩主・秋月種茂が儒官・千手興欽の進言に基づき安永7年2月24日(1778年)に藩校「明倫堂」を設立した。藩士のみならず農民等の一般庶民にも入学させたのを最大の特徴とする。高鍋城三の丸(現在は宮崎県立高鍋農業高等学校の一部)に位置し、従来からの武芸稽古所と併設して藩士の子弟に文武を兼学させた。藩士教育に熱心だったことから高鍋藩は『教育の藩』としても知られていた。小学と大学に分れ、それぞれを行習斎、著察斎と呼んでいた。行習斎には8~9歳で入学し、孝経、大学、論語などの素読や、孝経、小学内外篇の講義、礼式、書道、数学を学んだ。行習斎を修了して進む著察斎では各自で講読または会読を行い、教授への質疑や典籍の科目は自由であった。

 

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元治元年(1864年)には庶民教育のために椎木郷学校が開校し、次いで美々津(現・日向市)、都農(現・都農町)、平田(現・川南町)、三納代(現・新富町)、福島(現・串間市)に6つの郷学が、さらに小池(現・川南町)、日置(現・新富町)と諸県郡三名(現・国富町)に3校が設立され、明倫堂はこれらを管轄した。1869年(明治2年)には国学科が設けられ、玉鉾百首や神代正語、万葉集などが教えられた。1873年(明治6年)に廃止され、その後は高鍋島田学校を経て1887年には 現在の宮崎県児湯郡高鍋町立「高鍋東小学校」となった。

 

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この秋月種茂公は上杉鷹山公の実兄で、記載したように弟に勝る治世を高鍋で実践した名君である。鷹山公も同じく日向高鍋第6代藩主・秋月種美の次男として生まれたが、母方の祖母の豊姫が米沢藩第4代藩主・上杉綱憲の娘であるこのことが縁で、10歳で米沢藩の第8代藩主・重定の養子となった。

 

時代はめぐり1959年に明倫堂(高鍋東小学校)に入学したのが筆者であるが、多くの諸先輩・後輩が巣立っている。筆者の入社した住友電気工業の生みの親になる住友総理事、鈴木(秋月)馬左也も高鍋出身である。明治37年44歳の若さで第三代住友総理事に就任、「自分は正義公道を踏んで、皆と国家百年の仕事をなす考えである」と決意表明、明治44年には現在の住友金属・軽金属・電気工業の設立を契機に、化学・商事・日本ガラスなど鈴木が起こした事業は現在もまた国家百年の事業として活躍している。人材の育成にも注力、大阪鰻谷に「寧静寮」と言う独身寮を立て、自分の思いを伝えるべく度々寮に宿泊、若者と忌憚なく語り合ったと言う。筆者の入社した時も同じく宝塚仁川に「寧静寮」があったが、阪神淡路震災後に残念ながら取り壊された。鈴木馬左也は1922年(大正11年)12月25日に享年62歳で没した。墓は秋月家菩提寺「竜雲寺」の近くにある。

 

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小さな町ではあるが、初代大審院検事総長となる「三好退蔵」、最後の連合艦隊司令長官となった鬼瓦の名将「小澤治三郎」海軍中将、最近では、芸能界で活躍中の今井電器店のひとり娘である「今井美樹」が同じく高鍋東小学校の出身になる。筆者は中央通りにかつてあった鹿児島銀行高鍋支店の裏の社宅に居たが、北隣が九州電工、その北隣が今井電器店であった。昭和34年に我が家にテレビなる高級家電が置かれたが、その時に杉木で高いアンテナを家の横に立てた。その工事を美樹ちゃんのお父様が登って完成させたと記憶している。中央通りを北進すると、幻の焼酎「百年の孤独」を造る黒木酒造本店(社長の黒木敏之氏は筆者の1年後輩:高鍋商工会長)がある。

 

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