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中国でなぜか流通した「寛永通宝」 【蘇州たより 工藤和直】vol.17 (読む時間:約3分半) 2015.03.12


日本で鋳造され一番市場で使われた貨幣は江戸時代の「寛永通宝」である。あの10円玉より発行数が多いと言われている。テレビ時代劇「銭形平次」で悪人に投げるのがこの「寛永通宝」一文銭であった。大川橋蔵演じるテレビを毎週見たものだった。総数で300億個ほど鋳造された。ここ蘇州市内人民路45号「文廟古玩城」で多くの中国古銭が売られている。そこで出くわすのが、この「寛永通宝」である。


「これは日本の貨幣だよ」と言うと、「どこにもあるよ」と返事が返ってくる。中国にある寛永通宝は、戦前にでも日本人が持って来たものと単純に思い込んでいたが、調べてみると江戸幕府が公認して清朝初期に大量輸出していた史実があった。


平安時代から、渡来銭と言われる唐・宋・明の貨幣は平清盛をはじめ当時の鎌倉・室町幕府・京都公家らが輸入し、平安末期に製造を終えた皇朝12銭に代わる貨幣として流通させた。江戸時代初期、逆に中国やベトナムにこの純日本製「寛永通宝」を輸出していた歴史があったのだ。


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清朝は貨幣の流通に銅貨を推進しようとした。明朝はそれまで紙幣が主であった。明朝初期に「永楽通宝」の鋳造があったが、市中に貨幣制度を普及させるより、朝貢国家の威信を維持するためか、朝貢国に分け与えることを優先した。室町幕府第三代将軍「足利義満」は日明貿易の推進者であるが、拝領した「永楽通宝」を市中に流通させ、幕府の権威を示した。したがって、中国における「永楽通宝」は稀有であるが、日本では多く見られる。戦国時代、織田信長は旗指物に「永楽通宝」の4文字を使わせた。
清朝は銅銭による貨幣経済の普及を図ろうとしたが、市場に流れる絶対量が不足したため、江戸幕府に依頼して輸入することになった。これに合わせ当時の貿易商人が金になればと、更に多くの寛永通宝を中国全土に輸出した。だから現在、中国で見つけられるのだ。三宅俊彦「中国に埋められた銭貨」によると、寛永通宝は中国の主要都市23ケ所で発見され、遠くは新疆ウイグル地区やカムチャッカ南部、北千島からも発見されている。


江戸幕府は、慶長6年(1601年)金貨と銀貨の制度を整えた。しかし、銭貨に関しては中世以来の渡来銭がそのまま使われていた。寛永3年(1626年)、水戸の豪商「佐藤新助」が寛永通宝試作品を作ったが、幕府は許可せず、寛永13年に江戸浅草橋と芝、それに近江坂本に銭座を設け、公鋳銭として製造開始、その後水戸・仙台・松本・高田・岡山・長州藩などが幕府許可のもと銭座を設け鋳造始めた。これによりそれまで巷に流通していた中国渡来銭をほぼ完全に駆逐、純日本国産貨幣化に成功した。その後、明治初年まで240年の長きに使用された。中国でも日本でも銭貨の名称は、当時の年号が使われていたが、この「寛永通宝」だけは年号に関係なく、通貨の代名と言うことで長年鋳造された。明治政府以降も補助貨幣として使い、昭和28年末の「小額通貨の整理」に関する法律が制定されるまで、1厘として使うことが可能であった。


骨董市場「古玩城」は数百軒からなり、文廟と言われる場所でもある。北宋時代、範仲淹が今の江蘇省立蘇州中学がある南園に創建したことに発する。孔子を祭る廟ともしたことで文廟とも言われた。ここはまた現在、碑刻博物館にもなっている。蘇州文廟は江南一帯で最高の学堂となり、科挙試験合格者のトップである状元を蘇州は全国で最も多く輩出した。現在の蘇州中学(日本では高校)は、清朝康熙帝時代に「紫陽書院」と名付けられ、現在でも有名大学への進学率は江蘇省の中でトップクラスである。
これら骨董屋は、貨幣以外玉器・陶磁器・美術工芸品・絵画など多彩である。玉器に到っては、どこかの古墳から出た超高級品から偽物まで豊富である。これらは大半偽物と思って良いが、意外とお宝がある。露天こそ筆者が一番好む場所である。いつも文廟の北端に座る露天商の老人が、筆者の先生でもある。座り込んで山となっている古銭を一枚一枚調べながら、稀有で価値のある貨幣探しを週末に行っている。一枚20元とか50元とか言うが、最後に一枚5元当たりで妥協させるのに1時間はかかる。これが面白いから骨董品探しはやめられない。筆者が発見した古銭には、5万円相当のレア物も数枚ある。


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参考:日本で発行枚数の多い貨幣は1円硬貨(約440億個)、中国では唐時代の開元通宝(約600億個)、漢時代の五銖銭(約280億個)


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