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中国の貨幣制度(秦の半両から始まった) 【蘇州たより 工藤和直】vol.18 (読む時間:約4分) 2015.03.18


貨幣とは、商品交換の際の媒介物で、価値尺度・流通手段・価値貯蔵の3機能を持つ。商品の価値尺度、交換手段として社会に流通しているもの、またそれ自体が価値あり、富として蓄蔵が図られるものである。現在、貨、財、買、貸、購、貴といった漢字に貝が含まれるのは、紀元前16世紀~紀元前8世紀頃に、ベトナム南海産の子安貝が使われ、「貝貨」と呼ばれた。「貝貨」は今から凡そ3000年前の「殷」の時代や青銅貨が広まる春秋時代(紀元前771~453年:周時代)まで使用された。


春秋五覇(秦・楚・斉・晋・呉)、呉は紀元前476年に滅び越になる。戦国七雄(秦・楚・斉・燕・魏・韓・趙)、春秋晋が魏・趙・韓の三つに分離、紀元前403年以降を戦国時代と呼ぶ。春秋時代後期になると青銅器の大量生産が可能となり、需要の高い農具(銅鋤)や武器(銅剣・銅刀)などの青銅器が、農民や兵士に徐々に普及し出すと、それ自体の使用価値(実用性+呪術性+保存性)を担保に、物々交換の基準・物の価値を計る尺度として、即ち青銅器が貨幣として、使われるようになった。やがて、交換価値の確立したそれらを、持ち運びに便利な様に小型軽量化したものが「布貨:鋤の形状」や「刀貨」となっていく。さらには、やがて、実用性だけでなく、元々の青銅器との形状の類似性が無くとも、交換価値を有し得ることに気づいた人々は、更なる利便性を求めて、環銭(円孔円銭・方孔円銭)を生み出すことになる。


古く中国では、天は円形で示され、大地は方形とされる。この方孔円銭は、いわば「天円地方」を表現したものである。春秋斉の宰相「管仲」はその書の中に「刀幣は溝瀆なり:貨幣は物資を流通させる用水路の働きをする」とある。紀元前7世紀には、貨幣経済が成り立っていたと言う事だ。


一国の興亡は、外敵との軍事力を背景とした武力によるものであるが、それを支えるのが一国の経済であり、その経済の根底に「貨幣」と言う媒体がある。戦国時代ばかりか現代でも言えることに、悪貨をどんどん発行するとインフレが起こり、一国がつぶれる。これは現在日本でも同じで、2%インフレに向け日銀はじゃぶじゃぶと紙幣を発行増刷しているが、現在の経済はグローバルであるがため、日本国の一政策だけではコントロールも限界がある。


中国宋(960~1279年)は長期間に渡り貨幣経済がうまく行った王朝である。その銅貨発行枚数は史上一番であり、アジア全域に渡り貨幣経済を行き渡らせた。日本も同じく宋銭の採用により、江戸時代まで貨幣経済は宋・明銭を中心とする渡来銭によって成り立っていた。


南宋時代(西暦1127~1279年)、女真族の「金」により領土の北半分が取られ、最終的にはモンゴル族の「元」によって滅ぼされる。その背景に、日本が大量の宋銭を輸入したことで経済が破綻(インフレ)したのも理由の一つとされている。銅銭は12世紀の日本にとって筆頭となる輸入製品であった。その規模は仁治2年(1241年)に、「西園寺公経の派遣せし船が一度に十万貫を輸入した」と記録がある。この量は南宋発行の一年分に相当する。これにより南宋は貨幣不足となり、時の王朝は紙幣の発行を行ったが、市中での悪銭不法鋳造とも重なり、市場経済は超インフレとなった。これにより大衆は南宋王朝に見切りをつけたと考えられる。


当の日本は、南宋の混乱を知らず、流通用に使うだけでなく、鎌倉の大仏鋳造には渡来銭を原料として用いた。日本は火山国であるが故に多くの銅鉱石はふんだんに手に入るが、精錬技術が未熟なため、硫化物の多い銅から純銅を得る技術が完成するのは室町時代末期まで待つしかなかった。文亀・天正年間(1501~12年)に摂津多田庄山下村の銅吹屋新左衛門が独自開発した山下吹によって硫化銅からの純銅の精錬が可能になった。その後江戸時代の寛永通宝など、独自貨幣制度を作る上で重要な技術開発になったのである。


山下吹から銀の抽出は不可能であった。それを可能にしたのは西暦1594年の「住友家」の蘇我理右衛門(住友家初代「住友政友」の義兄)が開発した『南蛮吹き』である。これによって大量に海外に流出していた銀を自国内で精製することが可能になった。この時の莫大な利益により「住友家」は明治維新後の近代日本の底辺を支える財閥へとなるのである。


春秋時代に鋳造貨幣として青銅器が使われるようになったが、同じく西洋では紀元前7世紀にリディア国が作ったのがエレクトロン貨幣である。中国ではその後の日本を含むアジア全域で円銭鋳造が主体であったのに対し、西洋は銅板などを打ち抜いて貨幣にする打ち抜き貨幣となっている。


この戦国時代を終わらせ、紀元前221年中国統一を成し遂げたのが秦の始皇帝であるが、偏狭の秦が中原にあった晋(魏・韓・趙)を征服できた背景に、強大な軍事力もあるが、環銭(円銭)主体の貨幣経済の便利性もあると言われる。秦の統一によって方孔円銭「半両」貨幣が中国経済の主体となった。その後唐時代の方孔円銭「開元通宝」(これが日本の和銅開称の原型)、そして最後は清代の方孔円銭「宣統通宝」となる。日本の五円玉はこの円孔円銭の名残であり、中国銀行のマークは方孔円銭を引き継ぐものである。


方孔円銭は紀元前221年頃に始まり、清朝の最後西暦1909年の宣統通宝に終わる。この2130年間の長きに渡り同一形状が使用され、アジア圏全体の貨幣経済に与えた影響は多大であった。


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