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春四月、蘇州の街路には「梓の木」が一番似合う 【蘇州たより 工藤和直】vol.19 (読む時間:約3分) 2015.04.03


蘇州市は歴史の古い都市である。その起源は今から2500年前の呉王闔閭の時代であり、秦・漢・唐時代から現代まで同一の敷地が脈脈として使い続けられている。都市の敷地が変らずに活用され続けたという意味では、世界で最も長い歴史都市である。蘇州は南宋建炎四年(西暦1130年)金兵の侵略を受け、街は掠奪と破壊により廃墟になった。しかし、その後すぐに立直り百年後には前にまさる盛観を誇るようになった。当時の街の様子は「平江図」として石碑に刻まれ、現在の蘇州の市街は基本的には当時と変らないといわれている。


この「平江図」の素晴らしさは、精巧なくらいに城門・店舗・運河・小橋・道路・仏閣・遊戯所を石版に書き込んでいる事である。道路上の石畳ですら当時の様子が目に映る。そして更に驚くのは道路の両側に樹木が描かれている事である。蘇州に初めて来た1987年当時、市内に入ると道路を覆いかぶさる樹木に遭遇した。田舎の街とはこんなものかなと思ったが、何度と来るたびに街と樹木が非常にマッチしている事に気が付くようになった。


「平江図」に刻まれた樹木は何だろうか?と言う疑問から、蘇州市街地ある街路樹の調査が始まった。蘇州の街路樹を分類するに、市の樹木であるクスノキ(楠樹)が一番多く、十全街などの古い街路にはプラタナス(法国梧桐:白いマンダラの幹に大きなカエデのような葉)・うねずみもち(白い花が咲く。実は女貞子と言う強壮剤になる生薬)、新しい道路には銀杏やヒマラヤ杉(雪松)・メタセコイヤなどの樹木が占める。プラタナスの二股に分かれた大きな幹は道路を覆いかぶさるほど大きく、特に秋になると美しい。十梓街から望星橋を越え蘇州大学旧正門前の通りや近くの教会に接する両街路のプラタナスはすばらしい。そして歴史を感じるのが、旧蘇州子城(王宮があった場所)内にある五卅(Wu-Sa)路のプラタナスは一見の価値がある。


銀杏やヒマラヤ杉は比較的新しい街路樹である。蘇州市内は3横4直の運河が流れ、その支流が非常に細かく分かれていた。近代自動車時代になって、運河の多くは埋め立てられ道路となり新しい樹木が植えられる事になった。道の片側がプラタナス、反対が楠木か銀杏と言う組み合わせもある。今後は蘇州に限らず街路の樹木は常緑樹(楠木や杉)になろうとしている。


宋の時代「平江府」と呼ばれた蘇州、「平江路」と呼ばれる第四直河に沿った街路がある。その東側に石畳の倉街と言う南北の街路がある。そこに多くの「梓樹」が見られる。春四月になると紫色の花が垂れ下がっており、遠くからは藤の花かなと思わせる。近くに寄って見ると、チュリップ形で黄色地に紫の点々がある花びらが特徴的である(写真1)。


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日本では、春になると一斉に咲く「桜」に風情を感じるが、ここ蘇州では四月になると運河沿いに藤の早咲きと錯覚するくらい紫色の「梓樹」に遭遇する(写真2)。人民路南門橋付近、第四直河呉王橋付近、倉街周辺、十全街東呉飯店前に並ぶ3本の梓樹は、見頃になるとその咲き誇る姿に帰りをつい忘れてしまう。


梓の木は非常に有意義な樹木で、木は版木となり、その実は秋になると利尿剤となり、最後は煮炊き用木材となる。呉王夫差は忠臣「伍子胥」に死を勧告、伍子胥は死ぬに際し「我が墓に梓を植えよ、以って王の棺をつくらん。我が目を東門に掛けよ、以って呉の越に滅ぼさんを見ん」の言葉が史記にあるが、そこに出てくるのが「梓の木」である。


第二横河が人民路を過ぎると十梓街と言う道がある。名前から見てきっと梓が植わっていると思ったが、一帯あるのはプラタナスだけである。十梓街はその昔、平江府正面玄関前の大通りである。平江府は城壁に囲まれた小城の内にあった。そのメイン道路であるだけに、街路樹はきっと蘇州一の木が植わっていたであろうと想像する。


人民路の南西部に文廟と言われる学府がある。今は石碑博物館となって、そこに「平江図」の石碑が在る。その横に樹齢150年の梓樹が3本見られる。この樹木を見るたびに、かの「平江図」に書かれた樹木は「梓」でないかと思うのである。春四月、蘇州の街路には梓の木が一番似合う。


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