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蘇州城内の運河と橋の形 【蘇州たより 工藤和直】vol.25 (読む時間:約4分) 2015.06.19


巨大都市の特徴は、必ず大きな河が存在する。人間が集まって集団生活する上で上下水道が極めて重要である。江戸(東京)・ローマ・パリ・ロンドンはもちろん京の都も同じ事が言える。特に百万人を超える巨大都市に至っては、食料の運搬に水上輸送は必須であるがため、河(運河)は重要である。しかもインプットのみにあらず排泄物(動物である限り当然)処理とのリサイクルが成り立たなと巨大都市の繁栄と発展はありえない。


蘇州は宋の時代から明の時代にかけて、洪武4年(1371)には戸口473,864、人口2,166,463と2百万人を超える世界最大都市になったと記録されている。この理由として、上水より下水(運河によって排泄物を城外に流す排水処理)がうまく作用した結果だから言える。遠く奈良の平城京が70年程度で終わった理由として、桓武天皇の政治課題以外に、排泄物の処理能力が人口の増加にマッチしなくなった事も挙げられている。


橋は街(巷)と河とが交差する所に生じる。街(巷)の立場からみれば,橋は街(巷)を連続させるものであり、有機的に結合させるものである。河の視点からみれば,橋は河道の天井を通る物体で、また河道の特有な範囲を占拠する物である。街道と河道が平行している時、河道から巷に入るとき、橋はまた街路の動から巷の静へと、二つの性格の異なる空間を分隔するものとなる。橋は分断された空間を1次元に結ぶ。「架け橋」と謂われる所以である。


蘇州の橋は宋の時代に石橋となった。唐の時代は木造であったことが白居易の漢詩「紅欄三百九十橋」から伺える。木は赤く塗られていた。日本の橋は近代まで大半が木造である。遣唐使によってもたらされた建造技術で日本の京都で橋の建設が始まったが、日本は大半が木造である。逆に894年以降大陸の技術導入が無くなったが故に、中国の木造橋の技術がその後も日本で花開いたとも言える。


唐の時代390座あった。その後、宋の時代から石造りに徐々に改築されて行った。ここが日本との違いである。使用された石は武康石であった。武康石(凝灰岩)は折江省の徳清県産であり、白色の中に紫が輝くので、重宝された。特に宋の王都開封の皇族が好んで多く使った結果、品不足となり、元代以降は太湖産の青石(どちらかと言えば黒褐色)や花崗岩(白石)が主となった。その後、同じく品不足となると清時代以降は武康黄石(黄褐色)が使われた経緯がある。色の変異からみると、白色から黒色・黄色へと変わっていくのである。清代になると花崗岩が蘇州金山で産したこともあり、青石が減って行った。その背景には、清と青の字に関係している。清朝は満州族の国家であり、辮髪をはじめ多くの事を漢族に強要した。その結果清朝に反抗する行動もあり、青石の橋を足蹴にして踏む下す事が、すなわち反政府を行動で示すことになる。清(qing)と同じ発音の青(qing)をひっかけた文字遊びである。青石は橋ばかりでなく寺院の建築物の柱としても使われている。蘇州の繁華街観前街の北に玄妙観という道教の聖地寺院があるが、その中央にある三清殿の柱にこの青石が使われている。


蘇州の橋は、形式によりアーチ(栱)橋と折橋と平橋の3種がある。船の通行のため、蘇州の橋のほとんどはアーチ型の栱橋かあるいは折板によって中央を高くした折橋になっている。街路の地表面から高く上に出て、巷の終点になり、石段(石踏級)アーチの本体(石栱)そして石の欄干は,平らな街(巷)路から起伏し変化を与える。水巻に映る橋の倒影や橋の造形は、環境を情緒に富んだものにする。アーチ式には1孔のものが大半であるが、3孔(万年橋)や5孔(五龍橋)以上のものもある。


平橋と折橋の欠点は、橋の長さ(石材の長さ)が制限されることにある。長い石材を使うことは可能だが、支えるのは両端である。自ずと重量に限界がある。現代でも明・清時代の橋が落ちる事故が報じられるが、原因はこの荷重限界にある。その点アーチ型は力分散の点で、かなり大きな長い橋を造ることが可能になる。しかもその姿は優雅であり、蘇州の街に実に似合う形状となる。すなわち絵になるのである。力学的な見地から、アーチは圧力分散形状であることが構造力学の点から言われている。ただ、現在の自動車時代になれば、逆に邪魔な構造となった為、早々に姿を消すことになった。現在蘇州市メインストリート人民路と道前街の交差点にあった飲馬橋、昔日の雄姿を下記写真でなくこの目で見たいものであった。


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蘇州城内の橋では、平江路(第四直河)に武康石・青石・花崗岩の組み合わせで、宋・元・明・清時代のコラボを見ることが可能である。また城外ではあるが、南東部と滅渡橋や盤門外の呉門橋にも同じく3時代の痕跡を観察することができる。橋の頂上や端部に描かれた猛獣の絵柄なども必見の価値がある。著者はいつも言う、蘇州で何か価値があるかと問われたら、「橋」である。千年の長きに耐えた石(武康石)を見ることで、中国の文化・文明を知るからであり。「橋を見るときは端を」も重要な事である。中央部や全景を見るばかりでなく、橋の端(橋脚や橋台)に秘密が隠されていると思う。そして今でも生活の一部として利用されているからすばらしい。


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参考文献:蘇州古橋文化(古呉軒出版社)


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