新規登録
コラムニスト募集中
日経新聞
DMMコラム
蘇州たより
上海の街角で
JETRO
上海日本商工クラブ
在上海日本国総領事館
ラクト
上海人
香港リーダーズ
C.L.Mリーダーズ
経営者.マガジン読者の集い
2015稲盛和夫経営哲学上海報告会
中国ニュース
株式会社TOHOKI
人気ページランキング
  • 今週
  • 今月
  • 殿堂
  • JBSコラム Vol.3

  • 会計税務、人事労務、法務、健康、教育等、会社の進出から撤退までをワンストップで支援。

  • 上海リーグ法律事務所 コラム vol2

  • ビジネスシーンで活用する中国語講座vol4

  • 知的財産権の取得・侵害対策、企業内不正対応を中心に、中国での企業活動をワンストップで支援。

  • JBSコラム Vol.3

  • ビジネスシーンで活用する中国語講座vol4

  • 知的財産権の取得・侵害対策、企業内不正対応を中心に、中国での企業活動をワンストップで支援。

  • 上海リーグ法律事務所 コラム vol2

  • 会計税務、人事労務、法務、健康、教育等、会社の進出から撤退までをワンストップで支援。

  • “One Team, No Border” 会計税務を中心に企業のグローバル化を全力で支援しております。

  • ビジネスシーンで活用する中国語講座 vol.8

  • 微博・微信を中心とする中国ソーシャルソリューションサービスをワンストップで提供しています。

  • 会計税務、人事労務、法務、健康、教育等、会社の進出から撤退までをワンストップで支援。

  • リスク管理領域を中心に日系企業の中国事業を支援させて頂きます。

京城三越百貨店を訪ねて 【蘇州たより 工藤和直】vol.32 (読む時間:約2分半) 2015.09.11


「蘇州たより」と言いながら、なぜか韓国ソウル(戦前は京城)に話が飛びました。これも蘇州大丸百貨店や大連三越百貨店を調べているうちに、意外と祖父が関係していたのが分かったのがきっかけです。母方の父(小生の祖父)は鬼籍に入ってもう20年になる。百歳前に風邪にかかり、その翌朝には亡くなった。病名は「肺炎」、人生最後はこういう死に方がしたいといつも思う。苦しんだ跡も無かったようだ。せめて死に方(老衰)だけは遺伝して欲しいと思いつつ、常々の不摂生を反省ばかりしている。


この5月連休に帰国した時、久しぶりに宮崎に帰省、母に亡くなった祖父と共に京城に行った時の話しを改めて聞くと、当時は京城三越百貨店主催の秋の大運動会が近くのグラウンドであったと言う。祖父は建築事務所(多田工務店)に勤めていた。


母の一家は戦後ソウルから日本に引き上げた家族である。ソウル(当時の京城)に母が3歳~18歳と言うから15年近く居た事になる。家はソウル市の東、東大門市場付近であった。母が通った東大門小学校は戦後現地の中学校になり、1990年代までは現存していた。


蘇州たより Vol.2で書いたが、蘇州大丸を調べているうち、三越はソウルに日本初の海外展開を行い(1906年)、翌年には大連にも出店を作った(1907年)。大連三越は今でも市内中山路に秋林女店としてピンク色にはなったが建屋がそのまま使われている。大連は本当に日本の建築物が多い。満鉄経営の旧大和ホテル(大連賓館)も今でも使われている。上海外灘の多くに石造り建築物もそうだが、百年以上も経ってもしっかり使えるのは、日本建築技術がそれだけレベルが高かったからであろう。大和ホテルは大連以外、奉天(瀋陽)、新京(長春)などにも現存し、今でもホテルとして使われており、宿泊が可能である。写真は、旧奉天大和ホテル(瀋陽遼寧賓館)と格調高い吹抜けの螺旋階段である。


kudou32-03 kudou32-04


三越が京城・大連へと進出した背景には、日露戦争勝利で実質支配した朝鮮半島と中国東北部への権益拡大のため、この地域に多くの官史、軍人、そして商人が大多数押し寄せ、日本人社会が急拡大したからであろう。三越の記録にも「満鉄の理事から、社員諸氏へ日用品を廉価で供給せさしむべく早急なる大連出店要請があり」とある。


京城三越は何度か移転拡張を繰り返し、1916年10月には三階建て370坪のルネッサンス様式の百貨店となり、1930年(昭和5年)に現在の地下1階地上4階の2300坪の鉄筋コンクリートの大店舗に改築されるに至った(多田工務店施行)。当時30歳前後の祖父と家族が京城に赴任するようになったのは、この大改装のためであろう。


もっと驚いたのは母の記憶である。京城から引き上げて70年になり、今年で87歳になるが、三越の前に朝鮮銀行(現:韓国銀行)、右前に郵便局(現在も同じ郵便局)、朝鮮銀行の先に朝鮮ホテル(現ウエスチンチョースンホテル)、その先に市役所(現在も同じ)と、見事に今と同じ所在を言い当てられる事である。だれでも子供の時の記憶がそのまま残っているし、女学校時代から慣れ親しんだ街の風景が脳裏にあるようだ。そして日本の古い建物を残して使う韓国政府・国民に感謝したい。蛇足ながら、ソウルで買い物される時は、ロッテホテル南側、明洞西の「新世界百貨店(旧三越百貨店)」をご訪問下さい。


参考文献:戦前・戦中における百貨店の海外進出(川端基夫)
   蘇州にあった大丸百貨店、大連にあった三越百貨店【蘇州たより Vol.2】


kudou32-05 kudou32-06


コラムニストの過去の記事も読む