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蒋介石と林彪との接点(蘇州南園賓館) 【蘇州たより 工藤和直】Vol.34 (読む時間:約2分半) 2015.10.09

蘇州旧市街の中央に十全街と言う東西に走る馬路がある。東端は蘇州城東門にあたる葑門、西は西門にあたる胥門を結ぶ、昔で言えば蘇州城内メインストリートである。道沿いのプラタナス(法国梧桐)も大きく成長し年代を感じさせる。人民路との十字路からしばらく東に歩くと烏鵲橋と言う小さい平橋があるが、この橋は100年前この辺り最大のアーチ橋であった。烏鵲(Wu Que)橋は蘇州城創成期からある古い橋で、2500年前の呉王夫差の住居「烏鵲館」が近くにあったことに由来する。夏の天の川に鵲(カササギ)が渡る橋と言う意味である。

 

そこを過ぎると右側に南園賓館と言う古いホテルがある。蘇州南園賓館(ナンユエンビンガン)は1952年に蘇州市国賓館になり、50数年来の国賓館で国内外の著名人が宿泊したホテルである。別荘方式で宿泊建屋が敷地内に点在している。その中に蒋介石の養子(次男:蒋緯国)の居寓であった建物があり、その3階は蒋介石の別宅であった(下記は入口写真)。今では新婚夫婦の写真スポットでもあり、中の部屋の家具に歴史を感じる。

 

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蒋介石は国民党の主席であり軍人でもあるが、彼が台湾に去るまで、こよなく蘇州を愛した一人でもある。蒋介石には4人の夫人が居た。ただ重婚ではないかと疑いたくなるほど奇妙と言うか巧妙と言うか、革命の為(資金の為)なのか、妻の実家の金が目的でないかと疑うくらい政略結婚を繰り返したような気もする。

 

最初の妻は蒋介石の故郷奉化県の毛福梅(1921年日本軍の空爆で死亡)である。長男の経国は福梅の子になる。第二夫人(妾か?)が姚治誠であるが、養子である緯国を養育し、この別荘で共に生活をしている。第三夫人が蘇州の金持ちの娘、陳潔如である。どうも実家のお金が目当てで、第一夫人が爆死した後添えとしたが、結婚にあたり妾の治誠はどうするのか?と詰問した経緯がある。第四夫人があの宋家三人娘の三女「宋美齢」である。実家の浙江財閥のお金とアメリカ育ちの雄弁な英語力で、彼の名前を世界に示させた賢夫人となった。美齢無くば、蒋介石は唯の軍人で終わったであろう。

 

この蒋緯国の居寓の下が、何と共産党主席に成れなかった“林彪”のアジトになっているから面白い。国民党が去ったのち、当時共産党副主席“林彪”の寓居になった。彼は抗日戦争時に肺に被弾、大連や蘇州で治療する事が多く、この関係で蘇州のこの地が保養所となった。

 

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林彪がクーデターを計画した理由は、毛沢東の国家主席撤廃に対し存続を主張した事と言われている。クーデターがありえると予想された。林彪の息子で空軍を指揮する林立果は、毛沢東を倒し新政権樹立を計画した「571工程紀要」作成(571は武起義:Wu Qu Yiと同音)を実施に移したが、事前に情報が漏れ、林彪は妻の葉群とソ連に亡命する途中モンゴル上空で墜落、パイロット他9名全員が死亡した。

 

林彪事件はおそらく近代中国史上最大の謎である。毛沢東の「最も親密な戦友」として文化革命推進にも扮装し、次期後継者を約束された林彪が、ともあろうにも毛沢東暗殺に失敗、1971年9月13日モンゴルの草原で墜落死した。蘇州城内の清閑なホテルであるが、“国民党”と“共産党”、意外な場所で意外な接点があるものである。

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