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幕末の志士に影響した蘇州詩人「高青邱」 【蘇州たより 工藤和直】Vol.36 (読む時間:約4分) 2015.11.02

寒山寺楓橋と言えばすぐに唐詩に出てくる張継作「楓橋夜泊」が有名であるが、明代当初の蘇州出身の詩人「高青邱」(西暦1336~1374年)を忘れてはならない。幼少より神童とうたわれ、書に読まざるはなしといわれるほどの博学と知られた。蘇州効外「青邱」にて在野の詩人として活躍するが、明の太祖から39歳で腰斬の刑に処せられた。姑蘇城外楓橋から逃げようとした時、死を覚悟して詠った最後の漢詩が「絶命詩」である。彼の詩には性格によるものだが、慷慨に満ちた力強さを感じる。江戸幕末の志士はこの漢詩を愛唱したという。


「絶命詩」
楓橋北望草斑斑  楓橋、北望すれば草斑斑(はんばん)たり
十去行人九不還  十去の行人、九は還らず
自知清徹原無愧  自ら知る清徹 もとより憚(はばか)るなし
蓋倩長江鑑此心  むしろ長江を雇うて この心を鑑(かんが)みるべし


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高青邱は蘇州城内中央にある「飲馬橋」から数10m東の「夏候橋」近くに寓居があった。ここは、宋時代に「平江府」と言われた行政センターがあった場所だ。また「夏候橋」から北へ向かう運河は、元末時代に埋められ道路となったが、かつて呉王「夫差」の時代、子城(宮城)の西堀に当たり、「錦帆渓」と呼ばれた。


「錦帆渓」
水繞荒城柳半枯   水は荒城をめぐって、柳半ば枯れ
錦帆去後故宮蕪   錦帆去ってのち、故宮蕪す
窮奢畢竟輸漁夫   奢をきわめて畢界漁夫に輸す
長保秋風一幅蒲   長く保つ秋風、一幅の蒲


錦帆渓はかつて子城の西にあった堀である。呉王夫差は西施を連れてここから舟遊びをした。それはかれこれ1800年も前であったが、同じく知人張士誠はこの子城に入って王府と称し、最後には朱元樟によって子城は焼かれ、錦帆渓も埋まってしまった。


行香子(芙蓉)は、高青邱の詩的技法が最も顕著に出た漢詩(詞律)である。これほどの詩人が腰残の刑で散ったのは実に惜しいが、その短い人生であったがために、最高の作品となった。秋に紅く咲く芙蓉の花にたとえた「人のむなしさ」、「自然の広大さ」がこの中調詞律の中に見える。


「行香子(芙蓉)」
如此紅妝      かくの如き紅妝(こうしょう)
不見春光      春の光を見ず。
向菊前蓮後纔芳   菊の前蓮の後にわずかに芳う
雁来時節      雁来るの時節
寒沁羅掌      寒さは羅掌(らしょう)にしみる
正一番風      正に一番の風
一番雨       一番の雨
一番霜       一番の霜


蘭舟不採      蘭舟はとらず
寂莫横塘      寂莫として塘に横たわる
強相依暮柳成行   しいて相より、暮柳行(ぎょう)を成す
湘江路遠      湘江のみちは遠く
呉苑池荒      呉苑の池は荒れる
恨月濛濛      恨月(こんげつ)濛濛(もうもう)
人杳杳       人は杳杳(ようよう)
水茫茫       水は茫茫(ぼうぼう)


高青邱は、漢時代の中国4大美人「王昭君」についてもすばらしい詩を残している。漢の武帝はその後宮に多くの女官を抱え、その全てに会うことができず、画家にその姿を書かせ、それによってお召しになると言うシステムであった。そのため多くの女官は画家に賄賂を渡し、少しでも美人に書かせる、逆に賄賂のない者は“醜く描く”という有様であった。


漢帝国は強大ではあったが、北方の異民族から常に脅かされていた。その対応策として武帝は絵画から醜い女官を匈奴の首領に贈ることにした。いよいよ北の国に去る別れの挨拶に来た女官「王昭君」は、周りの者をも驚かす美しさであった。武帝は「しまった」と思ったがもう決めた人選を覆すこともできず、悔やむだけとなった。哀れ王昭君は泣く泣く北国に行き、その地で没したという。


「高青邱:王昭君」
都門塵拂春風面  ともん塵ははらう春風のおもて
臨別看花涙如霰  別れにのぞんで花をみる、涙、あられの如し
君王惆悵惜蛾眉  君王ちょうちょう、蛾眉をおしむ
不似前時画中見  似ずぜんじ画中に見る


青邱に先立つ3百年前の唐時代、同じくは白居易は「王昭君」について以下の詩がある。青邱はこの詩を意識した書き方になっている。白居易は唐時代蘇州刺史(長官)として治世をみた先人でもあった。白居易17歳の時の作と言われる。


「白居易:王昭君」
満面胡砂満鬢風  おもてに満る胡砂、鬢に満る風
眉鎖残黛臉鎖紅  まゆは残黛(ざんたい)に消え、臉(かお)は紅(べに)消ゆ
愁苦辛勤顦顇尽  愁苦辛勤(しんくしんきん)して顦顇(しょうれい)を尽す
如今劫似画図中  如今(じょこん)かえって画図(がと)の中に似たり


これらの詩のポイントは第四句にある。“悲しみ・苦しみ・やつれ果てた姿は、今となっては醜く書かれた画そのものであった”と白居易は表現したのに対に、青邱の四句にあるのは、“出立も同じく美しい姿である”と中国4大美人「王昭君」の美しさを表現している。実に白居易をしのぐ高尚な詩である。


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参考文献: 西施を尋ねて霊岩山に登る【蘇州たより Vol.6】
高青邱全詩集(日本図書)

 

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