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習近平談話に出る林則徐「海納百川」 【蘇州たより 工藤和直】Vol.38 (読む時間:約3分) 2015.11.13

林則徐はアヘン禁輸の欽差大臣となって英国とのアヘン戦争に負け、左遷させられた清朝時代の官僚であったが、1832年から江蘇巡憮(長官)として蘇州に赴任した経歴がある。彼が執務した書院巷北にある江蘇巡憮院署の門柱に「海納百川有容乃大(海は百川をおさめ容の大なる有り)、壁立千丈無欲則剛(壁は千丈に立ち無欲にしてすなわち剛し)」の書画がある。今では、習近平主席を含め多くの政治家が唱える政治模範になっている言葉である。最近では、オバマ大統領が中国訪問された時、習近平談話の中に、この「海納百川」があった。


林 則徐(Lín Zéxú、1785年8月30日 ~ 1850年11月22日)は、中国清代の官僚、政治家。欽差大臣を2回務めている。字は少穆(Shǎomù)。諡は文忠(Wénzhōng)。イギリスによるアヘン密輸の取り締まりを強行、これに対する制裁としてイギリスはアヘン戦争を引き起こした。江蘇巡撫のあと、1837年(道光17年)から湖広総督(現在の湖北省と湖南省を合わせた地方長官)になる。この時に管内でのアヘン根絶に実績を上げ、黄爵滋の「阿片厳禁論」に賛同し上書、その実績と議論の精密さを道光帝は評価、1838年に林則徐をアヘン禁輸の欽差大臣に任命した。


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1839年(道光19年)、広東に到着した林則徐は、イギリス商人が持っているアヘンを全て没収、処分した。これに怒ったイギリス商人たちは林則徐に抗議し、最終的に1840年アヘン戦争を引き起こすことになった。現地のイギリス商人を支援するために派遣されたイギリス東洋艦隊は、広東ではなく北京に近い天津に現れた。間近に艦隊を迎えた清の上層部は狼狽、慌てて林則徐を解任、イギリスの意を迎えることに必死になった。林則徐の後任となった琦善は、ひたすらイギリスに低姿勢で臨んだ結果、清が大幅に譲歩した南京条約を1842年に結ぶことになった。


欽差大臣を解任された林則徐は新疆に左遷された。しかし、彼はここで農地改革を行い、善政を布いた事で住民から慕われた。常に清廉潔白で私事を省みず、左遷されても常に国家の事を考え続けた姿は後世の人間から深く尊敬されている。林則徐にとって、この地で南下しようとするロシア帝国の脅威を実見できた事は大きな収穫であり、進士の後輩に対し「将来、清の最大の脅威となるのはイギリスよりもむしろロシアだろう」と言い残した。1849年(道光29年)に隠棲したが、太平天国の乱が勃発すると召し出され、太平天国に対する欽差大臣に任命された。そして任地に赴く道中、普寧で病死した。


1832年から1837年、江蘇巡憮(江蘇省長官)として赴任した場所が、写真の巡憮院署である。清代には明の制度を踏襲して巡撫は省の長官とされ、総督とほぼ同格として皇帝に直属した。上奏・属官の任免・軍隊指揮・地方財政の監督・裁判・渉外などを権有した。蘇州市人民路は蘇州城内を南北に貫く大道である。葑門(東門)から東西に走る十全街が人民路にぶつかる四つ角から書院巷に入るが、その北にあるのが「巡憮署」の建屋になる。ちょうど蘇州中学の北の対面になり、現在は衛生職業技術学院の玄関門になる。


林則徐は座右の銘としてこの漢詩を愛したという(下記の書画は本人自筆)。海は百(無数)の川を受け入れるからこそ、あれだけの大きさを持っている。山は千丈(無限)の高さを持ちながら、無欲であるからこそ強さを持っている。「自我を主張せず他者を受け入れられる者のほうが、結局は大きく強いのだ」という意味だ。これを習近平主席はオバマ大統領に言いたかったのだろう。


この漢詩は林則徐の作ではないが、その出処を調べると、“海納百川”は管子-形成解編に“海不辞水、故能成其大”がある。“有容乃大は尚書-君陳編に“有容德乃大”とある。“壁立千丈”は水経-河水注編に“其山惟石、壁立千丈、臨之目眩”との表現があり、“無欲則剛”の出処は未定であるが、論語の公治長に類似表現がある。


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