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突然消えた長江文明(日本人の祖先) 【蘇州たより 工藤和直】Vol.39 (読む時間:約4分半) 2015.11.25

1973年・1978年の発掘調査で、浙江省余姚市の河姆渡遺跡(かぼといせき)は紀元前6000年~紀元前5000年頃のものと推定され、大量の稲モミなど稲作の痕跡が発見された。河姆渡遺跡は明らかに黄河文明とは系統の異なるものであり、それまでの「中国文明は黄河文明から始まった」という当時の定説を大きく覆す事になった。我々は世界4大文明として、メソポタニア・インダス・エジプト・黄河文明と教科書で習ったが、それに先立つ「長江文明」があったと再考せざるを得なくなった。


20世紀前半、黄河文明(紀元前4000年頃)である仰韶文化(やんしゃおぶんか)が発見されて以降、黄河流域で多くの遺跡が見つかったことで中国の文明の発祥は黄河流域であり、その後次第に長江流域などの周辺地域に広がって行ったという見方が支配的であった。ところが、河姆渡遺跡により、この説は覆された。独自の文明が長江流域にあったのだ。しかも稲作を行っていた事から、その住居は高床式であった。


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長江文明は稲作が中心であり、畑作中心の黄河文明との違いからどちらの農耕も独自の経緯で発展したものと見られる。長江文明の発見から稲(ジャポニカ米)の原産が長江中流域とほぼ確定され、稲作の発祥もここと見られる。日本の稲作もここが源流と見られる。すなわち稲のDNAから見て、日本に来たのは長江の稲である。湖北省荊州長江中流域の屈家嶺文化(くつかれいぶんか、紀元前3000~2500年頃)・下流域の良渚文化(りょうしょぶんか、紀元前3500~2200年頃、周囲7kmに渡り城壁があり夏王朝以前にあった都市国家ともいわれる)の時代を最盛期として突然消滅したのは、黄河流域の二里頭文化(夏王朝:紀元前2000年頃)が南進したと推定される。良渚文化(浙江省余杭市良渚鎮)は馬家浜・崧沢を受け継ぎ、多数の玉器の他に絹が出土している。分業や階層化も行われたと見られ、殉死者を伴う墓が発見されている。黄河文明のひとつ竜山文化(ろんしゃんぶんか)とは相互に関係があったと見られ、紀元前2000年頃に同時に消滅したことから、夏王朝の人々により征服されたと考えられる(洪水説もある)。


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苗族は長江中流湖北省の武漢から荊州にかけて長江文明(屈家嶺文化)を発展させた部族であるが、夏王朝の南進に因って故郷を追われ、現在の雲南に逃げた一族と、淅江省から海伝いに日本に逃げた一族に分かれると言われる。苗族の正月の風習は多くは日本人の風習と重なる点が多いし、日本人DNAにも苗族のDNAと共通する点もある。河姆渡遺跡からは玉で作られた玉器や漆器などが発見されており、これらが後の楚・呉・越に繋がったと考えられるが、どのような流れをたどって繋がるのかは未だ解らない。本格的な発掘が始まってより40年ほどしか経っておらず、発見されたものの量に対して研究が追いついていないのが現状である。


蘇州市東北に広がる陽澄湖の南岸に、草鞋山遺跡がある(唯亭鎮東北2km)。中日両国の考古学者が、5年の歳月をかけて発掘、調査した結果、蘇州の草鞋山遺跡一帯で暮らしていた中国の先住民は6千年前に水稲栽培を始めていたと認定した。これは福岡県の板付古代水田遺跡より3500年も早い時期のもので、これまでに発見された世界で最も古い古代稲田である。これは1994年宮崎大学で行われたシンポジウムで、中日両国の専門家の一致した結論である。この結論は、アジアにおける稲作起源の中心地は紀元前4000年頃に、長江沿いにあったとされる。


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人類(ホモサピエンス)は14万年前の東アフリカタンザニアを起源とする。黒人の中から突然変異によって生まれた白色に近い人類は迫害を受ける中、サハラ砂漠を抜け、ナイル河を下り、7万年ほど前のイラン高原で、ヨーロッパ系とアジア系に分かれる。華人も日本人も7万年前を起源とする人類である。そして約5万年前にイラン高原からタリム盆地を抜け、中原に来た華人は黄河流域と長江流域に分かれ、それぞれ独特の文明を築く。日本民族は約4万年前にモンゴル高原から朝鮮半島もしくは樺太を越えて移住した民族によって、旧石器・縄文文化が栄えるが、紀元前8世紀には、長江を追われた稲作や鉄器などの近代文明を擁する弥生民族が南方から九州に移住、現存の縄文人との混血により現代日本民族が出来上がったと考えられる。この弥生民族こそが夏王朝によって追い出された長江民族(苗族)であったと予想される。最近の研究で日本の弥生時代は500年ほど早い紀元前8世紀と言う新説がある。また、中央アジアのキルギス族の間では、遠い昔キルギスの兄弟の一方が遠く日本に渡り日本人になったという話が伝わっている。確かに、キルギス族は何となく日本人に風貌が似ているのも事実である。


古事記は、その名が示すように古事(民族の起源)を記録した書である。天皇の系譜を表した帝記と神話や伝承を記した旧辞から構成される。この旧辞の中に天孫降臨の巻があるが、伝説とは言え高千穂の峰(鹿児島県および宮崎県)に降臨されたニニギノミコト他の神々はしばらく鹿児島の薩摩半島南端(現在の野間岬)に居られたという伝説から見て、この神々こそが新文明をもたらした弥生人(長江文明人)であった可能性が極めて高い。


日本語は、文法面から見るとモンゴル語・朝鮮語・トルコ語と同じアルタイ語族になるが、発音から見るとタミル語や江南地方の呉語に近いとも言われる。蘇州語の単語の中に、日本語と同じ発音で同意語が見られるのは、単なる偶然とは思われない。


参考文献:鳥越憲三郎「古代中国と倭族」
     中国まるごと百科事典(長江文明)


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