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一生に二度しか笑わなかった西施 【蘇州たより 工藤和直】Vol.45 (読む時間:約3分半) 2016.01.28

霊岩山は蘇州城から西南15kmにある標高182mの小高い岩山である。古くは春秋時代、呉王・闔閭(在位紀元前514年~496年)が霊岩山(姑蘇山)に「姑蘇台」を、その子夫差(在位紀元前495~476年)は美女・西施のため、この姑蘇台に「館娃宮」を設けた。現在霊岩山と称する頂にある「姑蘇台山頂花園」は、館娃宮「御花園」の遺跡だとされており、中国に現存する最古の庭園でもある。山麓から正面山頂に見える霊岩塔(多宝仏塔)を目指して徒歩で40分程度である。


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観音洞は道に沿って山に登る途中にある。左に続く竹林を見ながら、かなり上り詰めた所に「落紅亭」と碑刻され建物が見える。山頂の霊岩山寺はまっすぐ登るが、左手に常にローソクが灯り線香が絶えないお堂がある。ここは紀元前494年会稽山で破れた越王「勾践」が監禁させられた洞窟である。勾践は囚われの身で、会稽からここ姑蘇霊岩山に連れて来られた。髪は伸び放題、裸足で馬の世話や掃除などの労働に従事し、夜はこの洞窟で寝るという有様である。


呉王「夫差」といっしょに来た西施は、みすぼらしい越王「勾践」の有体を見て悲しみ、それを押し殺すかのように笑い顔をつくろったといわれる。いやみすぼらしい越王の姿を見て本当に笑ったのだという説もあるが、筆者はこう思う。「臥薪嘗胆」の嘗胆(胆をなめて会稽の恥を忘れず)である越王「勾践」は、その配下の范蠡が計画した「打倒呉国」を「くの一、西施」と遂行中なことを承知であった。西施はみすぼらしい姿の王を見て笑ったのでなく、呉王「夫差」はまんまと策に落ち、ここ霊岩山頂上に呉国の財を全て注ぎ込み、人心は呉王から離れているということを、「越王さま、計画はうまく行ってます」と言うのを笑みで代弁したのでないか。この観音洞のことを、西施洞とも言う。


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霊岩山頂御花園の奥に玩月池がある。西施はここで2度目の笑顔を作っている。西施は贅沢の粋を尽くした館娃宮で暮らしても決して喜びの日々はなかった。それは打倒呉国の密命を帯びている以外、ふるさと「越」をいつも思い、日夜思い悩む毎日であったからだ。呉王は「あなたの望みを何でもかなえてあげた、できないのは月をここに持ってくることだ、それ以外は何でもしてあげる」、西施は言う「どうしても月が欲しい」。悩んだ呉王夫差は臣下の進言で、この山頂に池を掘り麓から汲んで来た水を張って池とした。満月の夜、呉王は西施を連れて御花園にできた池に行き、「さあ、月を手にしよう」と池に映る月を両手で取るように促すと、風に揺れる小波に揺れる月が西施の手に入ったのだ。「王様ご覧ください、私の手の中で月(月と越も漢語では同じYue)が遊んでいますよ」と得意気に笑ったと言う。その後、玩月池(月をもてあそぶ池)と呼ぶようになった。


古書によると館娃宮は「銅鈎玉欄、飾以珠玉」といわれるくらいの、銅のかぎと玉の欄干、数々の宝石で飾られた御殿であった。唐の詩人「白居易」は蘇州刺史として赴任し、ここ霊岩山で「娃宮屧廊尋已傾、硯池香渓欲平、二三月時但草緑、幾百年来空月明」と詠っている。「館娃宮にあった響屧廊を探したが、既に壊れ硯池の香渓は消えようとしている。2、3月春の頃、草は緑になり幾百年も同じくむなしく月が照らしている」。この詩に出る「響屧廊」が、寺門右の霊岩塔と御花園を結ぶ梓の木で出きた長い廊下であった。この梓の木の下に大きな甕を一列に置き、女官が木靴で歩くとちょうど木琴の上を歩くのと同じく、美しい音色が奏でられるのである。呉王「夫差」はここまで粋を凝らした宮殿を造営したのだ。


白居易に先立つ百年前に詩人「李白」がここで詠ったのが「蘇台覧古」である。白居易は李白の詩を十分に意識している。李白は霊岩山を照らす月について「唯今惟有西江月、曽照呉王宮裏人:ただ今ただ、西江の月があるだけ、かつて照らす呉王宮殿の人(西施)」と月は西施の時代から空しく照らしていますよと詠い、それを意識した白居易は、李白のあと百年も同じく月は空しく照らしていると、時間をより自分の時代にずらしている。この対句に時間の長さと霊岩山の変化のない様子を感じ取れる。白居易から1250年後の現在も、月は玩月池を照らしているからだ。


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霊岩山寺を出て坂を少し降り、右手に太湖がきれいに見える場所がある。そこに亀に形をした岩がある。ちょうど頭が太湖に飛び込もうとしている。子供たちが登って馬に跨るような格好をしている。この亀石も同じく西施が上に登り傘下を見下ろしたといわれる岩である。


参考文献:「西施」を尋ねて霊岩山に登る 【蘇州たより vol.6 】


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