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「范冰冰」と歩く煙台山 【蘇州たより 工藤和直】Vol.53 (読む時間:約3分半) 2016.08.04

煙台市(Yan tai)は山東省に位置し、山東半島東部にある港湾都市である。北は渤海湾に面し、東は威海に、南と西は青島に接する。山東省最大の漁港であり、最初期に対外経済開放された沿岸都市の一つで、環境の良さ、景観の良さ、投資環境の良さから、海外からも全中国からも多くの人が集まる。煙台市の西寄りにある「芝罘」(ツーフー、Zhi fu)という陸繋島に由来が始まる。今日の「煙台」という名は明の洪武帝の治世だった1398年(洪武31年)頃、煙台山に倭寇襲撃時に警報の狼煙を上げる烽火台が建設された。これが「煙台」と呼ばれる所以とも言われる。


春秋戦国時代には斉の領土であった。秦代には斉郡に、前漢の時代には東莱郡に属した。始皇帝は3回、武帝は1回芝罘島を訪れたと言われている。隋の時代に莱州、唐・宋・元の時代に登州や莱州が置かれた。明・清の時代には莱州府、後に登州府が置かれている。1858年7月、清は天津条約を結び、登州は「煙台」と改名され西洋諸国に開港されることとなったのは、1856年第2次アヘン戦争の際にイギリス・フランス連合艦隊が煙台を占領したことによる。1860年6月にフランスが煙台山を占領し、ここに軍司令部を置いた。煙台は1861年5月に外国商人たちに対して開港し、煙台山周辺に17カ国が領事館を設置した。この一角は「領事館街」の様子を帯びることになった。1866年フランスが撤退するに及び、外国人と中国人による万国委員会が行政を担うようになった。1876年に芝罘条約が結ばれ、漁港だった煙台はイギリスの条約港となり急速に共同租界地化した。20世紀初頭に山東半島全域でドイツ帝国の力が増すと、煙台もドイツに支配されることとなった。また、清も北洋艦隊の拠点とし、1903年に設置された煙台海軍学校は1928年まで中国の海軍士官を育成した。1905年には、日露戦争後の講和会議の開催候補地のひとつにもなった。


第一次世界大戦でのドイツの敗戦により、煙台はアメリカ海軍アジア艦隊の夏の駐留港となった。日本も交易のために煙台に拠点を置き、両国の影響が市内の政治や建物様式に及ぶことになった。煙台山の南にも多くの領事館や郵便局などがあり、フィンランド領事館などは今では雑貨店となっている。煙台は不思議なくらい西洋の香りがする町である。逆にイギリスの租借地であった威海市街には英国の匂いが少ない。


煙台山は観光地化されて、入口で入場料60元を払って徒歩による観光である。入口すぐ北がアメリカ領事館、右手にイギリス領事館、その奥にデンマーク領事館と、非常にこぢんまりとした建物が続く、日本領事館はデンマーク領事館から見ると、西の端にあたる。他の領事館と異なりまったく標示がない。車2台が離合できる程度の細い路が煙台山を巡っている。ここは車より歩くのが一番似合っている。木陰に休むと煙台市街の海岸線が遠くに見ることができる。道ですれ違う女性はここ煙台出身の女優「范冰冰」でないかと思うと、一人笑ってしまう。広州空港にある巨大な范冰冰の写真を思い浮かべつつ、日傘を持って小道を歩く小姐の姿を旧日本領事館門前で見失ってしまった。


日本を除く各国領事館は、内部が開放され展示物を確認できるが、日本領事館のみは放置され破れた窓ガラスから内部の荒れ放題を見るだけである。領事館の隣に旧職員社宅もあるが、同じく荒れ放題の態であった。


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一番高い場所が、あの倭寇が来襲してきた時に烽火を上げたという煙台、その横には白い灯台がある。その南に、日本の「芝罘(ジーシー)神社」があった。神社は煙台山山頂に1942年 (昭和17年)10月に創建された。現在、「抗日英雄記念碑」が1964年建立された。周囲の石碑などに記載はないが、神社の台座が記念碑台座としてそのまま活用されているのを確認できる。台座に上がる石段は、周囲の記念碑の新しさにまったく似合わない古い花崗岩で、年代を感じる。抗日英雄記念碑の基壇は五角形になっており、神社基壇を改築して使ったと思われる。記念碑のうしろにつながる東屋の基壇は、1940 年(昭和15年)頃に日本が建てた戦勝記念碑基壇をそのまま使っているようであった。日本の神社跡を再利用して抗日記念碑が建立されており、歴史の矛盾を感じた。


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