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ソウル南山にあった「朝鮮神宮と京城神社」跡を訪ねて 【蘇州たより 工藤和直】Vol.55 (読む時間:約3分) 2016.09.01

朝鮮神宮は、京畿道京城府南山(現・大韓民国ソウル特別市)にあった神社である。社格は官幣大社で、朝鮮全土(60ヶ所)の総鎮守とされた。1919年(大正8年)7月18日、天照大神と明治天皇を祭神とする「朝鮮神社」を創立、官幣大社に列する旨が仰出された。1920年(大正9年)、南山の頂に御用地20万坪、境内7000坪、総工費150万円で殿舎造営に着手、6ヶ年で竣成した。1925年(大正14年)6月27日、「朝鮮神社」を「朝鮮神宮」と改称し、9月14日には鎮座祭の期日(同年10月15日)と例祭日(毎年10月17日)が定められた。また本社の宮司は勅任待遇であった。


日中戦争がはじまった1937年(昭和12年)以降になると、韓国人民にも神社参拝を強要した。これに反対した約2000人の牧師・教徒が検挙、投獄された(神社参拝拒否運動)。この神社参拝拒否運動で200余りの教会が閉鎖され、50名あまりが獄死するという結末をたどった。このように朝鮮神宮は日韓の歴史の中に大きな負の遺産を持つ。日本の第二次世界大戦敗戦(光復節)に伴い、1945年(昭和20年)11月17日に廃止され、跡地には南山公園が作られた。公園の中には安重根義士記念館、Nソウルタワーなどがあり、ここに神社があったとは想像もつかない。安重根義士記念館周辺にまさに「朝鮮神宮」の社務所や本殿があった。


ソウル南大門から南山公園に向かう素月路(ソウォルロ)は旧朝鮮神宮表参道(西参道)であった。朝鮮神宮の石段が素月路から大鳥居を通ってまっすぐに南山頂上に達した。石段は南山の西側にあった。当時、市内電車が南山西側の南大門近くを走る時、乗客は必ず車内から朝鮮神宮を拝礼するしきたりだった。


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最近、参道があったことを示す石の手すりがあると聞き行ってみた。韓国では解放後、神社は徹底的に破壊されたので遺構はほとんど残っていない。ただ、南山周辺は多くの日本人が住み、朝鮮神宮や京城神社などを建て、その遺構が何ヶ所か残っている。素月路の一部に石の手すり(参道両側にある石柱に直角に乗せた石壁に類する)が残っている。朝鮮神宮は1925年に完工、同時期に整備されたものとしたら、90年くらい経っている手すりである。南山洞(南山町)周辺に、古い日本家屋や石灯篭のような物が庭にある家屋を見る事ができる。


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京城神社(国幣小社:京城府倭城台、祭神:天照大神・国魂大神・大己貴命・少彦名命)は朝鮮神宮のあるソウル南山の北側の麓にある(現在はリラ初等学校と崇義女子大内)。京城神社には、摂社として「南山天満宮・南山稲荷」があり、その旧社殿跡に「宇佐八幡」があり、近くに「乃木神社」があった。つまり、京城神社境内に、天満宮、稲荷、八幡宮と乃木神社の4柱の祭神があったわけだ。一般には乃木神社と呼ばれた。また、崇義女子大正門から上がる石段は、当時の京城神社入口の登り階段と場所が一致する。乃木神社は現在黄色い建屋のリラ初等学校(私立)敷地内にある。周囲には崇義女子大などがあり、木々に覆われた静粛な場所でもある。このリラ初等学校の正門を右に行くと駐車場があり、その奥に南山院という福祉施設がある。まさにこの場所が乃木神社であった。南山院のところどころに、乃木神社の手水鉢や灯篭などの遺物が残っている。手洗石槽には寄贈者の氏名(高木徳弥)と昭和9年9月の刻印があった。本殿跡の方向に写真を撮ったが、その場所がかつての乃木神社前の橋の部分であった。灯篭台と思われる石はイスとして使われている。まさに「逆さ石灯篭」である。仁川神社跡にも不思議と石灯籠が残っていたが、なぜ現在まで破壊されずに現存するのか、実に不思議である。筆者が訪問した時、南山院から若い職員の方が出て来られ、丁寧な説明を聞きながら神社内の遺跡を案内して頂いた(但し韓国語)。


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