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京城風情「今昔物語」 【蘇州たより 工藤和直】Vol.56 (読む時間:約3分) 2016.09.12

京城府(けいじょうふ)は、朝鮮王朝の漢城府に引き継いで置かれた日本統治時代の行政区域、現在のソウル特別市にあたる。1394年11月26日、李氏朝鮮の太祖・李成桂は開城から漢陽へ遷都、1395年(太祖4年)6月6日に漢陽府を改め漢城府とし、以来およそ500年にわたって首都となった。1910年(明治43年)の韓国併合後、朝鮮総督府地方官官制に基づき「京城府」に改称された。朝鮮半島においての「府」は日本の「市」に相当する。よってしばしば誤って呼ばれるが、京城市という市は歴史上存在しない。また、「京城」は王城・皇城と同じ意味の漢語であって、朝鮮においては古くから漢城を指して使われた一般名詞の一つである。


1945年(昭和20年)8月15日の日本敗戦(光復)後もしばらくは「京城」の名称が使われた。連合軍軍政期の1946年(昭和21年)10月18日、京畿道の管轄から離れて「ソウル自由市」が設定され、大韓民国が独立した1948年(昭和23年)には首都「ソウル特別市」が誕生、現在に至っている。「ソウル」は朝鮮固有語では「みやこ」を意味する。漢字表記(漢城・漢陽・京城・京都など)の変遷に関わらず、朝鮮民族はこの地を「ソウル」と呼んできた。李朝時代までは朝鮮語で京都などと書いてソウルと読んでいたが、現代の韓国・朝鮮語では漢字の訓読が廃止されているためハングルのみで表記する。


1396年(太祖5年)、朝鮮王朝の都である漢城と外部との境界を示し、外部からの侵入を防ぐために城壁が築造された。全長18.627kmにも及ぶ。漢陽都城(ハニャントソン)と呼ばれ、都を囲む石造城郭(門を含む)である。李氏朝鮮時代から発展を遂げたソウルであるが、1910年(明治43年)以降の日本との併合後36年間の間、ソウル市内に多くの日本企業・政府が近代建築を作り上げ、その多くが未だに現存して昔と同じく使われている。京城風情「今昔」と言う事で表1~4で今と昔を写真比較してみた(文末参照)。


京城の玄関は京城駅であるが、明治の煉瓦つくり駅舎は今も使われている。駅前には路面電車が走っていた。南大門から北の総督府に向かう太平通り、三越百貨店から鐘路にかけての南大門通り、三越と郵便局の間の繁華街である本町通り(現忠武路)、今のロッテ百貨店から右折すると黄金通り(現乙支路)、もう一本北の鐘路通りをそのまま東に行けば東大門に到る。地下鉄4号線になる退渓路は三越以東が昭和通りであったが、戦後になってソウル駅まで延長された。日本人観光客が宿泊・ショッピングしているロッテ百貨店やロッテホテルは、戦前は朝鮮殖産銀行と半島ホテルであった。そのロッテの対面には、京城電気(韓国電力公社)や三井物産京城支店等が今も残っている。ソウルの銀座とも言える明洞はかつて本町通りと言う一番の繁華街であったが、その地位は今も同じである。10年前は日本人観光客が多く見られたが、現在は中国人観光客の方が多いのに驚かされる。昔はよく日本語で呼び込まれたものだが、今は中国語での呼び込みと変わり、中国駐在者としてついつい誘われて中に入ってしまう。


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現在も使われている建物としては、三越百貨店(現新世界百貨店)、隣の朝鮮貯蓄銀行(現スタンダードチャタード銀行)、その対面の朝鮮銀行(現韓国銀行)、京城府庁(現ソウル市庁)、京城電気(株)(現韓国電力公社)や明洞にある明治座(現明洞芸術劇場)などがある。10年前にあったスカラ座(旧若草座)はStay-Bホテルとなっている。朝鮮殖産銀行跡はロッテデパートになり、半島ホテル跡はロッテホテルになっている。東大門近くにあった鉄筋コンクリート水洗トイレ施設であった東大門尋常小学校は、15年ほど前までは徳寿中学校としてあったが、商業街に発展に伴い無くなった。


同じく、名門京城中学は元々の慶煕宮に戻り、京城第一高女は整地されたが、写真中央にある大きな木は昔からあったであろうと想像できる。この貞洞には多くの外国大使館があり、ロシア領事館跡もその一つである。当時から立派な煉瓦つくりの京城郵便局は今、ツインビルのソウル中央郵便局となっている。ソウルプリンスホテルから南山小学校南山手にあった東本願寺は、現在ソウルボランティアセンターとなっているが、周囲に残る石柱に昔の寺院跡を感じる。芸術洞にソウルユースホステルがあるが、この北に日本公使舘(韓国総監官邸)があった。その玄関付近に韓国併合の裏工作を担当した会津藩出身「林権助」(男爵)の銅像があったが、今では逆さに埋め込まれ、日韓の負の歴史を様々と感じる。同じく、憲兵隊本部は南山コル公園となり、その中にソウル南山国楽堂がある。韓国併合前1896年、南大門路の三越百貨店の場所に在京城日本領事館があったが、1930年に三越百貨店が建設された。


参考文献:京城三越百貨店を訪ねて【蘇州たより vol.32】


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