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山東省淄博市「淄川神社」を訪ねて 【青島たより 工藤和直】Vol.72 (読む時間:約2分半) 2017.06.06

山東省淄博市は、解放前に「張店」と呼ばれていた。張店停車場(1903年建設:現在は淄博站)は淄川炭鉱・博山への鉄道支線分岐点として、膠済線では最重要の停車場であって最大の操車場を有していた。そのような土地柄から、張店には張店病院、妙心寺、屠獣場があり、中華人向け小学校を併設しているドイツ系の張店天主教堂(駅の右手に現存)もあった。張店駅の近辺は、道路も建物も全て日本式で、済南・坊子に次いで日本人が多い町であった。中華人の人口は200人前後で戸数は50戸ばかりだが、日本人の人口は664人、戸数は144戸であった。


日本人は各種の営業を営んでおり、湯屋、洗濯屋、質屋、古物商、洋服屋、呉服屋、時計屋、運送屋、医師、女髪結、遊技業と広範に及んでいる。貿易商14店、雑貨商6店もあった。博愛街には張店神社(1919年11月22日創建)があった。斉都「臨淄」の南にある臨淄駅は当時辛店站といわれ貨物駅(1904年建設)であったが、その前は張夏站と呼ばれていた。張店駅は、北に行けば鉄山、南に行けば黄山炭坑(淄川炭坑)・博山炭坑への中継駅として山東省における採鉱集積上最も重要かつ最大の駅であった。


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張店には、更に飲食店が3軒、料理店が8軒、宿屋が3軒あり、これに応じて芸妓3人、酌婦14人、仲居1名がいたようだ。鉄道中継駅として、金嶺鎮鉄鉱、博山炭鉱、淄川炭鉱など、この付近に広く在住する日本人を相手とする商売が繁盛していたのであろうか。張店尋常小学校が新設されているが、児童数、学級数等についての詳細な記述はない。淄博駅周辺の学校で戦前からあるのは、天主教堂の対面(淄博市第三医院)右の第五中学くらいだと聞いたが、ここが張店尋常小学校跡かどうかは断定できなかった。また、この第三医院も張店病院跡ではないだろうか。


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淄博駅から南に20kmほど行くと淄川(Zi Chuan)区がある。駅から公共バスで5分、公交東站バスターミナルがあり、ここから多方面にバスが運行されている。103番のバスに乗ること40分、洪山路バス停で降りて南に歩いて10分ほど行くと西山公園が見えてくる。ここを過ぎて淄鉱影刷院の南西150mの所に、淄川神社本殿が現存している(淄川区洪山鎮淄砿路133)。1940年(昭和15年)創建の東向き鉄筋コンクリート製である。これが幸いしたのか、中国大陸で現存している本殿は南京市五台山の南京神社と合わせて2ヶ所でないかと想定される。台湾除く中国大陸に約350ヶ所近い日本の神社が建てられたが、本殿が現存している事に驚きを感じ得ない。本殿の屋根や欄干、破風、手挟のコンクリートが剥がれ、内部天井も落下の危険性もあるので「立入禁止」となっている。早急なる補強工事の必要性を感じた。また、本殿正面から東70mほどに鳥居の足を置く花崗岩でできた亀腹がひとつ(鳥居の右足部の基礎石)残っていた。本殿前の鳥居は1960年頃に切除されたとのことであった。


西山公園の緩やかな坂を登って行くと、同じく鉄筋コンクリート製の納骨堂がある。更に山の頂には炮楼と呼ばれる花崗岩でできた日本陸軍が造ったドームがあった。山の頂上であり、軍事的な意味合いのある監視塔であったのだろうか。淄川は炭鉱の町である。戦前もまた同じく炭鉱で栄え、多くの日本人が住んでいた。


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参考文献:青島物語19話
神奈川大学「海外神社に関するデータベース」


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