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2016.08.22
  • 伝統と革新の併用が中国に100年企業を生み出す
  • 上海西泠印社有限公司 社長 顧錫洪/潜泉印泥  3代目継承者 王鶚敏
  •  
中国の100年を超える長寿企業の数は多くはない。その希少な存在のひとつが西泠印社だ。西泠印社は創設以来113年を数える企業だ。清朝末期から動乱の時代を超えて現代まで、どのように彼らは企業を継承し、老舗企業となりえたのか。上海西泠印社の社長である顧氏と、上海西泠印社のメイン商品である潜泉印泥の3代目継承者である王氏にお話をうかがった。
  • 上海西泠印社有限公司
  • 住所 / 上海市江西中路105号3楼
  • TEL / (021)6323-7212   

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■ 100年以上の歴史を持つ西泠印社


西泠印社といえば中国では杭州にある篆刻、書画などの学術団体が有名で、観光名所のひとつにもなっている。この杭州西泠印社と上海西泠印社はどのような関係にあるのだろうか。「創業者は同じですが、杭州の西泠印社は文化団体であり、上海西泠印社は企業なんです」と顧氏は簡単にその違いを示す。
上海西泠印社の設立は1903年、創業者である呉陰氏は杭州西泠印社の創始者の1人である。呉氏は書道家であり、また画家、篆刻家でもある当時の書画界の有名人だ。西泠印社は設立当時はそれほど有名ではなかった。そこで呉氏は西泠印社というブランドの影響力を拡大するために、上海で印譜(篆刻の印影集)、篆刻に関する書籍の出版、純華印泥(後に潜泉印泥と改名)を製造販売する西泠印社商店を開いた。これが上海西泠印社の起源となる。
それから100年、時代は大きく変わった。「呉氏は当初寧波路の渭水2号に店舗をオープンしましたが、後に江西路に移転しました。これが西泠印社の上海唯一の路面店となります」と顧氏は語る。100年を経て西泠印社の業務内容も変化し、以前は小売を行っていたが現在では卸が中心となっている。扱う商品も印譜、篆刻学の書籍と印泥から、印泥専門へと変わった。会社の形態も私営企業から国営企業、そして現在の半官半民の企業へと変化している。


■ 技術革新で効率と品質を向上


上海西泠印社のここ数十年の飛躍的発展を体現する数字がある。1970年代の年間売上高は5〜6万元、80年台は30〜40万元、そして今年は1000万元になるのだという。この発展はどのようにもたらされたのだろうか。その理由として王氏は技術革新を挙げる。「以前は生産工程に非常に時間がかかっていました。しかし顧氏が董事長になってからは技術革新を行い、生産量をあげたのです」
伝統的な印泥の製造法は、原料のひとつであるもぐさを集めるにしても1人の職人が3日間かけて集めていた。自分で野生のよもぎを摘みに行き、水洗いし、繊維の抽出などの幾つかの工程を行い、そうしてやっと2銭(1銭は3.72g)のもぐさを得ることができるといった具合だ。2銭のもぐさは印泥2つ分の分量にすぎない。印泥製造のためのもうひとつの主要な原料である菜種油にもこだわって時間をかけていた。「菜種油は3年間陽に晒してようやく使用することができるようになります。晒すための場所も足りないため、油不足の状況にありました」と王氏は説明する。
いかに国内外における印泥の大量需要を満足させるか、いかに生産効率の悪さと生産量の少なさを改善するか。これが顧氏が1984年に董事長となって以来、ずっと考え続けてきた問題だった。数年間、生産販売状況、市場の模索を行うことで、顧氏は改革せざるを得ないことを知った。1990年、顧氏は改革を断行する。
改革では伝統的な印泥製造を継承しながらも、様々な部分に現代的な機械を取り入れた。例えば油を陽に晒すという工程には紫外線機器を導入、3年かかっていた工程を半年から1年に短縮した。これにより天候の影響を受けず、またホコリの混入を気にすることもなく、陽に晒す方法と同等の質量の油を得ることができるようになり、油の純度と粘度もより製作に適したものとなった。


■ 国内市場に着目、低価格市場を開拓する


技術改革を経て、印泥の生産量は大幅に上昇した。だがここで販売先についての問題が起きる。もともと西泠印社の印泥は半分が外国市場向けであり、中でも日本が大きな輸出先だった。ところが21世紀初頭に輸出が停滞する。「その主因は日本経済のバブル崩壊です。文化面でも購買意欲は低調となり、印泥の輸出量にも影響するようになりました。ちょうどこの時期は会社が国有企業から半官半民の企業へと体制を変えたばかりの時期でもあり、販売量の減少は生産に一定程度の影響を与えました」
この状況をどう打開するか。国外市場は縮小しており、その影響をコントロールすることは難しい。そこで顧氏は国内市場の開拓に力を注ぐことを決めた。「一般的にはまだロープライスの製品が受けいられやすい状況です。そこでここに頭をつかうことにしました」伝統的な印泥の価格が高いのは、原料のひとつである「辰砂」の仕入れ価格が高いからだ。辰砂は1トンあたり、高い時には70万元にもなる。辰砂のメリットは長期間色あせがしにくいところにあるが、誰もがそこまでのクオリティーを求めてはいるわけではない。そこで「辰砂を用いない低価格の印泥を作り、コストと販売価格を下げる。だが工程と技術は高級ラインと変わらないものとする」ことに決めた。辰砂を使わないことで色のバリエーションは豊富になり、今では金色、黄色、青、白など20種類余りのカラー印泥が作られており、まだ開発を続けている。「自分で作らなければ、他の人が作ってしまいます。だから市場の需要があると知ってからは開発を急ぎました」と王氏は語る。
現在西泠印社の売上高の80%は国内市場からのものとなっている。高品質で低価格の製品で西泠印社の高級品にも興味を持つ人々がでてきたため、高級品の販売数も増えているのだという。


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