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2014.09.29
  • 異文化の相互理解に力を尽くし
    ビジネスの道を開く
  • 帝人中国総代表 (2014年3月インタビュー時点)
  • 山本 泉
繊維業界を中心に40年。日商岩井、帝人という大手商社と製造業を経験した山本氏は、華僑や中国人とのビジネスにも長い経験がある。現在上海で帝人中国の事業を統括している山本氏に、長年のご経験をお話しいただいた。
  • 帝人(中国)投資有限公司
  • 住所 / 上海市延安西路2201号 上海国際貿易中心808室
  • TEL / (021)6219-3866    FAX / (021)6219-6212

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■40年前にインドネシアに赴任



 山本氏が商社を目指したのは一冊の本がきっかけだ。1972年に発刊したローマクラブ企画による『成長の限界』。地球資源の限界について記したこの書籍を読み、山本氏は資源の枯渇によりこれからは世界中で貿易が活発になると考え、1974年に総合商社日商岩井に就職した。日商岩井で26年間を過ごした後は、繊維事業の再編により帝人に移籍する。
 日商岩井では繊維貿易に携わり、インドネシアで4年、中国台湾に6年の赴任を経験した。インドネシアの赴任は1976年から、ジャカルタ郊外のジャングルで工場の立ち上げだった。政情不安で戦車が出てきたり、護身でピストルを携帯するという経験もしたが、さまざまなことを学べた機会でもあった。山本氏はまず語学を学び、通訳を兼ねて合弁会社の経営会議に参与した。当時の合弁相手はインドネシア華僑、彼らは当時からいわゆる「キャッシュフロー経営」を徹底しており、お金の授受についても信用にまかすことはない。約束や帳簿といった抽象的なものでなく、資産価値とお金の流れで経営を判断するという彼らからは、当時の日本にはない厳しさを実感した。
 それと同時にインドネシアという異文化ののどかさも感じた。工場周辺はのんびりした水田地帯、朝から仕事をして暑くなって来たら昼寝、付近にはフルーツがたわわに実をつけている。それほどのお金がなくても笑顔で幸せな生活をおくることができるという状況を目にして、日本や欧米流の規律や規則を従業員に求める工場運営に疑問を感じることもあった。幸せの尺度はそれぞれの国や地域で異なるのだ。

■華僑とのビジネスで必要なのは相互理解



インドネシアから帰国した1980年代後半は円高が進んだ時期で、それまでは日本からの輸出が主だった繊維貿易を、中国台湾から日本への輸入、あるいは日本を経由しない貿易(三国間貿易)へと転換せざるを得ない状況になった。そこで今度は1988年から6年間、中国台湾へと赴任し、繊維の原料から製品まで世界各国との貿易に関わることとなる。
 インドネシアでも華僑とのビジネスだったが、今度も華僑を多く排出している福建地区の商人たちとのビジネスである。彼らは工場の中の糸くず1本でも自分の財産だというほどに、自分のものとしての会社に執着し、仕事に思い入れがある。そんなオーナーとの値段交渉は厳しく、契約書を交わしていても納品に少しでも納得しなければ支払いをしてくれない。売掛金の回収には苦労し、円形脱毛症も経験した。
 そこで山本氏が学んだのは、結局は最後には人間同士の繋がりがものを言うということだった。お互いの主張や都合はあるがそれをどのように理解し、そして相手にも理解してもらうか。お互いをリスペクトする関係に持ち込むことで初めてビジネスはうまく行く。

■中国系のビジネスと日本のビジネスの相違



インドネシアも中国台湾も中国本土も、時代とともに欧米の考え方が入って来たりはしているが、底流にある商業民族という部分は変わっていないと山本氏は感じている。自分の資本をどのように動かしていくか。その手段は工場での生産だったり、貿易、銀行経営だったりする。しかしそれはあくまでも手段であり、いつでもより良い次の手段を見つけさえすれば手放すことができる。インドネシアで山本氏が仕事をした華僑たちの中で、今でも繊維業を続けている人はほとんどいない。
 日本ではひとつの職業を続けていくことに意義を見いだすが、彼らはそれを手段として割り切り、すべての能力、人脈を集中して資本の活用を行うという価値観がある。そうした相手方の事情を知ることで、逆にそれに合わせたアプローチをすることもできる。
 この相手を知るということに関しては、中国人の方が日本人よりも努力していると山本氏は感じている。食事や観光をするときにでも自然に相手のことを観察し、使えるか使えないかという視点でものを見ている。想像以上にたくましく、恐ろしいところがあるのだ。

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